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科学衛星
1964年,東大生研のロケット・グループと宇宙の謎に挑戦する科学者たちは,東京都目黒区駒場の航空研究所の人たちと合併し,東京大学宇宙航空研究所(東大宇宙研)を創設した。本部は駒場におかれた。
1966年9月26日,L-4S-1号機による初めての軌道への挑戦。第3段の異常飛翔。12月20日,2度目の挑戦。最終段に点火せず。そして某新聞社の猛烈な反東大キャンペーンの中で糸川は引退を決意するに至ったが,その後1970年2月11日,L-4S-5号機が日本初の衛星「おおすみ」を軌道に乗せることに成功した。糸川はそのニュースを外国で聞いた。
糸川の構想したミュー・ロケットは,その時々の宇宙科学からの要求を考慮しつつ発展を続け,1996年には直径2.5mのM-V型がデビューした。今や地球低軌道に約2トンを運ぶことができるミューは,固体燃料を用いた世界最大の打上げロケットに成長した。
ミュー・シリーズは,1986年にハレー彗星探査において史上初めての「固体燃料ロケットによる地球脱出」という偉業を成し遂げた。一連の宇宙研衛星は日本のX線天文学を世界のリーダーに育て上げ,太陽物理学,地球磁気圏のプラズマをとらえる宇宙プラズマ物理学も,太陽地球系科学における国際協力の不可欠の環になっている。M-Vロケットの登場は,世界初のVLBI電波観測を実現し,さらに日本初の火星探査機を送り出すなどの快挙を可能にし,糸川の宇宙科学への構想は華々しい足取りを見せたと言えるであろう。
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