No.217
1999.4

ISASニュース 1999.4 No.217 


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 AVSAとペンシル



 第二次世界大戦が終わると,連合国司令部は日本の軍備を徹底的に解体し,飛行機の研究を禁止した。戦時に航空機の設計・製作に携わってきた航空工学のスペシャリストたちは,より基礎的な分野やそれぞれの専門に近い学問領域へと散って行った。

 1952年のサンフランシスコ講和条約によって日本が独立した時,世界の空はジェット機の時代に入りつつあった。航空工学の専門家たちは,再び日本に戻ってきた学問の自由を背景にして,続々とジェット機の研究になだれ込んで行った。

 しかし,1953年から約半年間をアメリカで過ごした,東京大学生産技術研究所(以下「生研」)の糸川英夫は,将来の輸送機として航空機に替わる超音速・超高層を飛べる飛翔体を作ろうという魅力的な「ロケット機」を構想し,これに心を強く捉えられた若い研究者たちが,専門分野を越えて幅広く結集した。そして1953年12月の準備会議を経て,翌年2月5日AVSA研究班という研究グループが生研に誕生した。AVSAとは,Avionics and Supersonic Aerodynamics の略である。つまり航空電子工学と超音速 の空気力学・飛行力学を究めて行こうという意欲的な研究会が発足したのである。



 1954年,乏しい予算を使って多くの小型ロケットが試作され,工場で燃焼試験が行われた。その中から生まれたのが,直径1.8cm,長さ23cm,重さ200gのペンシル・ロケットである。



 ペンシル・ロケット用の推薬としては,ダブルベース(無煙火薬)が用いられた。ニトログリセリンとニトロセルロースを主成分とし,それに安定剤や硬化剤を適当に混入し,かきまぜこねまわして餅のようにしたものを圧伸機にかけて押し出す方式のものである。

 1955年3月11日,国分寺駅前の新中央工業KK廃工場跡地の銃器試射用ピットにおいて,ペンシル初の水平試射が行われ,次いで4月12日には関係官庁・報道関係者立ち会いのもとに,公開試射が実施された。

 ペンシルは,長さ約1.5mのランチャーから水平に発射,細い針金を貼った紙のスクリーンを次々と貫通して向こう側の砂場に突きささった。ペンシルが導線を切る時間差を電磁オッシログラフで計測しロケットの速度変化を計る。スクリーンを貫いた尾翼の方向からスピンを計る。高速度カメラの助けも借りて,速度・加速度,ロケットの重心や尾翼の形状による飛翔経路のずれなど,本格的な飛翔実験のための基本データを得た。この水平試射は4月いっぱい続けられ,29機すべてが成功を収めた。




 国分寺の後は,千葉の生研にあった長さ50mの船舶用実験水槽を改造したピットで,長さ300mmのもの(ペンシル300),二段式のペンシル,無尾翼のペンシル等を水平発射して経験を積んだ。


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