第5章 M-3SIIロケットとハレー彗星探査

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「すいせい」──ハレーのコマへ

「さきがけ」からわずか半年あまり、1985年8月19日には、ハレー彗星のための本格的探査機PLANET-AがM-3SII-2号機によって打上げられ「さきがけ」の後を追った。「すいせい(彗星)」と命名。記者さんから「いま彗星はどの辺りですか」と訊かれて「ハレーですか、探査機ですか。どっちのスイセイですか」と聞き返すこと頻りだった。

──「すいせい」は打上げ直後からハレーへの誤差20万kmという高精度で出発した。太陽風や地球の紫外撮像も行われ、装置の順調な作動が確認された。12月に軌道変更してハレーに15万kmまで近づき、「さきがけ」「すいせい」に対してアンテナ一つなので観測のタイムシェアリングも大変だった。しかしなんと言ってもその間、軌道、姿勢、受信とすべての観測の背後にある技術が完璧であったことの意義は大きい。──(清水幹夫)

──ハレー彗星の探査は、IACG(ハレー探査関係機関連絡協議会)と呼ばれる国際協力の枠組みの中で行われた。1981年のパドヴァ会議に始まって、再び1986年にパドヴァに集うまで、毎年緊密な協議が4機関(ESA、 IKI、 NASA、 ISAS)持ち回りで開催された。史上最大の宇宙科学の国際協力とあって、1986年のパドヴァ会議の帰りには、ヴァチカンでローマ法王パウロ2世の招待を受けたことは、珍しくも懐かしい思い出である。──(小田稔)

「すいせい/PLANET-A」と伊藤富造衛星主任

「すいせい/PLANET-A」と伊藤富造衛星主任

「すいせい」の管制を行う深宇宙管制センター

「すいせい」の管制を行う深宇宙管制センター

──打上げ当日の天気が不安定でね。何しろランチャー旋回をしながら動作チェックを行い、しかもM台地から雲の様子を睨みながら、打上げ直前の準備をしていました。打上げそのものが成功したまではよかったんだけど、打上げ日の1週間前に、日航機の墜落事故がありましてね。そのため「すいせい」打上げ成功という画期的なニュースは、あまり世間から注目されなかったんですよ。──(林友直)

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