第5章 M-3SIIロケットとハレー彗星探査

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軌道決定プログラム

惑星間空間を飛行することは日本にとって初めてのこと、軌道決定の計算機ソフトウェアを作り上げることは難題中の難題であった。

惑星探査といえば、アメリカのジェット推進研究所(JPL)が総本山である。現在はNASAの財政もそれほど贅沢は許されないが、かつてはマリナー、パイオニア、ボイジャー、バイキングと綺羅星(きらぼし)のごときミッションを目白押しに遂行し、太陽系の仲間の姿を人類の前に提示して感動を呼び起こした。その全盛時代のJPLで軌道決定の仕事を行った西村敏充という人は、20歳代の前半に貨客船に乗り込み、はるばるアメリカをめざした。そしてJPLに就職、惑星探査で20年近く働いた後、富士通のシステム研究所に乞われて帰国した。

そして日本が惑星間空間をめざすことが決まった1981年、給料の激減をものともせず(夫人の感想は知らない)、宇宙科学研究所の設立に馳せ参じたのであった。そしてこの西村の指導のもとで、5年の歳月をかけて整備したのが、惑星間空間を飛ぶための10万ステップを越える大規模ソフトウェアである。

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