第7章 はじまった大型の国際協力

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人工オーロラの出現──再挑戦

河島の粘りもあって、再挑戦の機会が訪れた。人工オーロラの実験を搭載した2回目のSEPACが実施されたのは、1992年3月であった。2度目の飛行においては、アメリカが引き取って、他の機器は改修せずバッテリーだけ新製したが、それはなんと製造後13年目のことだったのである。このスペースシャトルATLASミッションで、人工オーロラ実験は見事な成功を収めた。残念ながら大林はその2か月前に亡くなった。以下は、長友の手記である。

──停年を控えた私が研究室を片づけていると、埃にまみれたSEPACの文書の山がありました。その古文書をひもとくほどに、20世紀に栄えた宇宙文明の教典の趣があふれ、密林にマヤ文明を発見した感がありました。「すごいことをやったものだ」という思いが、ナット浮遊事件の見方も変えました。というのは、もしその文書に「完成品の取扱中に異物の混入を避けること」と一行書いてあったら、ナットは遠慮して入らなかったに違いないと思い始めたからです。「そこまでは書かないのが普通です」という言い訳もあるでしょうが、実は、私、そこまでは気が付かなかったのです。──(長友)

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