第7章 はじまった大型の国際協力

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開発から打上げまで

SFUの開発では、地上試験モデル(EM)と飛行試験モデル(PFM)を作成した。EMはペイロードユニットや冗長系のあるものなどは単数のみ製作し、構造熱モデル(STM)として、或はインターフェイス立証用として試験に供せられた。1990年に行われたシャトル・シミュレーターとSFU・EM(主構体)との構造適合性試験、ヒドラジン保温のため、オービターから電力供給を受ける遠隔操作電気アンビリカル(ROEU)の噛合せ試験などは、ロックウェル社ダウニーにおいて実施された。シャトルとの通信、アビオニクス(航法機器)適合性やDSNとの通信適合性試験もEMを用いて行われた。

EM構体のみは斜めにして輸送できたが、PFM及びコンテナの輸送は路上輸送の許可を得るのに困難を極めた。ゆうに幅5mを越え、トレーラーに乗せると2車線を占拠してしまうので、夜間輸送は勿論のこと、駐車排除など、許可を出す側にも厄介ものと映ったことであろう。ともあれ、関係各位のご努力により、岐阜/名古屋港、鎌倉/江ノ島港、霞が浦/筑波宇宙センター、種子島々内、米国内、横浜港/鎌倉などの陸送と、海上輸送の組合せで輸送を果すことができた。

しかし輸送の裏には大変なご苦労が秘められている。1994年に筑波宇宙センタから搬出し種子島に向かう折りは丁度夏の終りで台風のシーズンであった。雨が少なく霞が浦が浅くて進めない、台風が来ると一気に利根川が増水し危なくて銚子港に着けないなど、心配の連続であったが、何とか9月に種子島にたどり着くことができた。

種子島搬入後の電気性能試験は坦々と進んだが、年末から1995年の年始にかけて推進系の不具合が相次ぎ、現場も後方支援も緊張に明け暮れ、筆舌に尽くし難い苦労を味わった。

わが国初の回収型衛星SFUの打上げは、ひまわり5号(GMS-5)との初のH-II二重打上げ、初の3月打上げと、初ものづくしとなった。1995年3月18日17時01分、H-IIロケット3号機はSFUとGMS-5を乗せ、曇天をついて飛び立ち、またたく間に雲の中に消えた。打上げ管制センター内は両衛星の軌道投入まではしんと静まりかえっていたが、正しく軌道に投入されたと報ぜられるや歓声で湧いた。

帰京後1日置いて、3月20日には地下鉄サリン事件が発生。H-II/SFU/GMS-5関連のニュースは報道から消えた。5日後にはSFUは運用高度486kmに達し、3月29日までにはコアシステム、実験システムの点検を終え、全て正常と確認された。

SFUの組み立て

SFUの組み立て

SFUの構成

SFUの構成

H-II-3号機のフェアリングに組み込まれたSFU

H-II-3号機のフェアリングに組み込まれたSFU

H-II-3号機によるSFU打上げ

H-II-3号機によるSFU打上げ

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