第1章 日本の宇宙開発のはじまり

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カッパのひのき舞台

担いで運ばれるカッパロケット

IGY(国際地球観測年)に堂々と参加するには、少なくとも高度100kmには達する必要がある。ロケット観測班のメンバーたちは、ベビー型ロケットを繰り返し発射し、改良を重ねて、その辺りまで届くロケットを開発するための基礎データを蓄積していった。そしてこの揺籃の時代を経て、東大生研グループは、ようやくIGYにおいて観測ロケットとして使用するカッパ・ロケットの開発に入っていった。

生研の前身である第二工学部は、終戦時に60の講座と15万坪の敷地を持ち、創設の日が浅いこともあってパイオニア精神に溢れていた。これらを生研の資質と仮定するならば、ロケットという総合研究は、まさに生研的気質を受けた申し子のような存在だった、と言うことができよう。

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