第1章 日本の宇宙開発のはじまり

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AVSAと糸川構想

東京大学生産技術研究所(2000年8月撮影)

第二次世界大戦が終わると、連合国司令部は日本の軍備を徹底的に解体した。もちろん飛行機の研究は禁止された。戦時中多かれ少なかれ航空機の設計・製作に携わってきた航空工学のスペシャリストたちは、研究の対象を失って途方に暮れ、やがて、より基礎的な分野やそれぞれの専門に近い学問領域へと散って行った。

1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約によって日本が独立した時、世界の空はジェット機の時代に入りつつあった。イギリスのジェット旅客機コメット1号は1949年(昭和24年)にデビューしていたし、フランスのカラベルも設計が開始されていた。戦後聞もなくいろいろな分野に散った航空工学の専門家たちは、再び日本に戻ってきた学間の自由を背景にして、続々とジェット機の研究になだれ込んで行った。

糸川が米国で通ったシカゴ大学の図書館

糸川が米国で通ったシカゴ大学の図書館

しかし、1953年(昭和28年)に約半年間をアメリカで過ごした、東京大学生産技術研究所(以下「生研」)の糸川英夫は別の考えを持ち、帰国後生研所長の星合正治に進言した。

──アメリカはすでにロケットの時代に入りつつあります。我々もロケット機をやりましょう。ジェット機と違って空気のない所でも安定して飛べるロケットで、宇宙を自由に飛び回りましょう。──(糸川)

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