第1章 日本の宇宙開発のはじまり

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一難去ってまた一難

そしていよいよIGYの開始をあと半年に控えて、最後の仕上げにかかった(と思われた)。ダブルベースは圧伸成型で作るので形を自由に作ることができず、大きさも直径1cmくらいが限度であった。大型モーターに詰めるには、この推薬を「傘立てに傘を並べる」ように配列して燃焼室に仕込むわけで、直径11mmの「マカロニ」を束ねて外径をそれぞれ22cm、33cmにした第一段の上にK-128Jを乗せたK-3型とK-4型が作られた。しかしこれがどうもうまくない。これではとてもIGYの要求性能に到達するのは無理と思われた。

コンポジット推薬を使えば、組成物を単に混合して任意の形の推薬を鋳型法で作れるので、サイズに制限がなく、また内面燃焼のモータによる機体の軽量化も可能となる利点があった。「やはり直径の大きなものを作るには、どうしても鋳込み法でやらなければ駄目で、推薬もコンポジットが必要だ」

再び不屈の闘いが開始された。当時アメリカが使っていた主なコンポジット系推薬は、エアロジェット社が飛行機の離昇用ロケット(JATO)に使っていたもので、アスファルトを主体とした燃料で、性能があまりよくない。そこで酸化剤として過塩素酸アンモニウムを用い、ポリエステルをバインダーにした推薬の研究が行われた。これを使った最初のものがK-150Sで、1956年の暮れに燃焼実験に成功した。

K-3型

K-3型ロケット

K-4型

K-4型ロケット

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