第3章 ラムダの苦悩と栄光

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なつかしき計算機

当時ロケットの性能計算をしていた計算機について、井上浩三郎が興味ある記述をのこしている。

──飛翔経路の計算は空気抵抗のような非線形項を含んでおり、数値計算が必須で、手まわし計算機しか実用にならず、数多くの計算をこなす努力は並大抵ではない時代だった。性能計算にコンピュータが本格的に使われるようになったのは、内之浦に移った1962年頃だった。ロケットの飛翔性能計算式として、L-4S計画の始動に伴い、1964年頃から3次元6自由度の運動方程式が衛星投入までの軌道計算で使われており、当時大学院生だった松尾先生、的川先生、上杉先生が昼夜計算しておられたのを思いだす。

1964年に宇宙研にディジタル計算機HIPAC103とHITAC5020Fが導入されて計算能力が向上したが、それでも今では数秒の計算が1時間近くかかっていたと思う。しかし衛星投入が風まかせと評された第1段ロケットの風の影響を吟味する上で威力を発揮していた。

当時もミッション達成上、第4段計器部の重量に厳しい制限が加えられた。マグネシウムを主材料とする軽合金を用い、金属ケースは最小限度にとどめ、わずかに高周波部と電池の気密保持にのみ使用された。テレメータ送信機の既製の筐体にドリルで多数の孔をあけて(1号機と2号機のみ)減量を図るなどポッティング、コネクタ、ネジ1本に至るまで重量の管理を行う苦労もあった。衛星重量の軽量化はここから始まったと思う。

こうして実験班が心血を注いだL-4Sによる衛星が誕生した。成功を実験班と共に喜び町をあげて歓迎してくれた内之浦の方々の協力が大きな力になった。今でもその時の感謝の気持ちは忘れない。──(井上)

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