第3章 ラムダの苦悩と栄光

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4度目の挑戦

1969年9月22日の打上げ。姿勢制御までは順調で、制御開始後15~20秒で姿勢は安定した。然るに第3段切り離し後約4分、すなわち発射後211.25秒及び211.45秒の2回にわたって、またしても第3段が上段に衝突した。これによる上段機体の姿勢擾乱は著しく、姿勢制御装置によってこれを回復できないままにリスピンによって姿勢を固定された最終段は、タイマーによって8分19秒に点火、遠く東北方に飛び去った。

原因は、第3段残留推力の過小評価にあった。L-4T-1以後、小型モータを用いた残留視力の実験が行われ、発射直前に至るまで、レトロモータの取り付けを含めた対策が検討されていたにもかかわらず、4号機に対して十分に余裕のある対策が講じられなかったことが反省された。この結果、5号機では、第3段にレトロモータが装着されることになった。

4号機の失敗については、実験主任の野村民也の手記を紹介しておこう。

──3号機までは「初めての実験だから」と周りからも激励され、比較的強気で居れたのであるが、この時の精神的打撃は、流石に大きかった。それに追打ちをかけたのが、その夜に放映されたNHKの報道特集番組で、あろうことか、打上げ時のコントロールセンタの模様が克明に写されている。指令電話を通しての「あっ、当たった」という東口さんの声や、「姿勢は戻りませんか」と一縷(いちる)の望みを懸けて問い掛ける私の声まで、生々しく録音されている。「あの時の先生は冷静でなかなかよかった」と友人が妙な慰め方をしてくれたのは後の話。この種の取材は約束でできない筈なので、早速南日本新聞の白橋記者が血相を変えて抗議にやってくる。「当方も全く事情が分からずびっくりしている。よく調べて説明するから」とやっとお引取り願って、玉木先生と2人がっくりしていた所に、今度は浜崎さんがやってきて「なぜ加速モータを止めたのか」と責められ、完全に「打ちひしがれて」しまった。悪い時は悪い事が重なるもので、4日後のK-10C-2号機では、当時の加藤東大総長代行一行が見守る中、いわゆる「お先に失礼」と2段目だけが飛んで行ってしまった。この時の事を詳しく書いている余裕はないが、それやこれやで暫くは胸がつかえ、食事もろくに喉を通らないわが生涯最悪の日々であった ……。──(野村)

レトロモーター試験

レトロモーター試験

L-4S-4 発射の瞬間

L-4S-4号機の発射

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