第3章 ラムダの苦悩と栄光

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L-3Hロケット

このように、観測ロケットのL-3H型は、L-3型の成功をバックにしながら将来を見据える人工衛星計画から導かれたものであり、第2段にはポリウレタン系推薬を採用したが、第3段にはやっと実用のメドがついたポリブタジエン系推薬を使って性能向上を図った。

1965年の1号機は第2段のスピン不足のため異常飛翔したが、7月の2号機は完全な成功をおさめ、高度2,000kmをマークした。この2号機の打上げの時、発射台地にじっとたたずむ玉木章夫の姿があった。折から外国からの賓客が数名訪れており、気軽に声をかけた。

──ヘイ、プロフェッサー・タマキ。ここで何をしてるんですか?

玉木の答えに、その外国人が度胆をぬかれたことは言うまでもない。玉木は自分の肌で感じた風向・風速をもとにして、ロケットの発射角を決めようとしていたのである。しかし当時大学院生だった松尾弘毅を中心として、綿密な軌道計算をもとにした発射角補正法が確立しつつあった。1965年に導入されたバルーン追跡による風向・風速測定装置(風レーダー)と大型電子計算機用の3次元6自由度の軌道計算プログラムがその強力な武器となった。

L-3H型ロケットとランチャー

L-3H型ロケットとランチャ

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