第3章 ラムダの苦悩と栄光

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因縁の始まり

1964年5月、イタリアのフィレンツェでコスパー(COSPAR:国際学術連合宇宙空間研究委員会)総会が開かれた。これに出席していた森大吉郎と野村民也を2、3日遅れてやってきた糸川英夫が物陰に呼んで声をひそめた。

──出かける前に分かったのだけれど、L-3型ロケットに球形の4段目をつけると人工衛星になる。まずこれで行きましょう。──

2年後に開始されるL-4S型ロケットの実験主任をつとめることになり、5度に及ぶ軌道への挑戦において「悲劇の実験主任」と呼ばれることになる野村民也だが、さすがにその明晰な頭脳をもってしても運命は見通せなかった。しかしともかくこの時、L-4Sと野村の因縁は始まったのである。

ミュー・ロケットの開発にあたっての基本方針の一つは、小型のカッパとラムダによる予備試験をできるだけ多用して、開発の効率化を図ることであった。いくつかのサブシステムすなわちスピン、デスピン、球形ロケット、姿勢制御装置などはカッパ・サイズ以下の小型機体による飛翔確認テストですませ、総合的な衛星打上げ技術についてはラムダ・ロケットを使おうということになった。

さいわいラムダのロケット・モータは、ポリウレタン系のコンポジット推薬の採用による高性能化に成功しており、L-3型の完成によってその威力を確認している。これに、第2段と第3段を改良し、さらに第4段に球形モータを採用すれば、小型ながら衛星投入能力を持たせ得ることが分かっていた。これを「L-4S計画」と呼び、まず第2段と第3段を改良してL-4Sとほぼ同じ外形を持つL-3H型ロケットの完成に取り組むことになったのである。

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