No.200
1997.11

SFU   ISASニュース 1997.11 No.200

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SFU/1995.3.18-1996.1.13/H-II,STS-72



 3省庁,4実施機関の共同開発となった宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)は,1987年度より開発が始まり,1995年3月18日にH-IIにより打ち上げられ,翌年1月13日にスペースシャトルSTS-72により回収されて帰還した。宇宙開発計画の見直しにより,共同開発となった他,SFUの打上げがスペースシャトルからH-IIに変わったことで,プログラム管理上の問題が生じた。その一つは,H-IIへのインテグレーション(インターフェイス調整)はH-Iを基に円滑に進んだが,スペースシャトルのそれは回収が半年以上後ということもあって進まないことであった。加えてNASAはコスト抑制のためインテグレーションを極力遅らせる方針であるし,我々にとってNASAの手順は不明な点が多かった。結局,オプショナルサービスとして前倒しの作業を依頼して凌いだ。他の問題は本体,実験両システムが同時開発スタートとなった事である。上記のような事情もあり,本体システム設計を,ひいては実験リソース(重量,電力,排熱等)を改訂しつつ実験システムが開発されたことである。システム担当は実験側との折衝,殊に3者共同の建前尊重に腐心した。両システムの開発には時間差を設けるべきであったと思う。 技術的な最大の課題はNASA安全基準であった。NASAでのオリエンテーションで最少のインターフェイスでの安全化を強調され,ヒドラジンの凍結・解凍による漏れ対策として楕円断面配管を提案した。NASAは当初大歓迎の意向を示したが,新しい試みに対する“ no experience basis ”方針に押し戻され,全飛行システムの実液試験を要求されるに至り,取下げを余儀なくされた。長期に亘るやりとりで学んだ点も多かったが,今後立証を行って活用すべき技術である。

 回収運用中に収納ラッチが確認できず放棄した太陽電池アレイの故障については二つの教訓を学んだ。一つは微小重力環境を地上試験や解析でどう模擬するかである。今回の経験を基に夫々改良が加えられようが,対症療法にとどまるであろうし,徹底的に行うとすれば費用がかかる。他の視点は宇宙飛行士の撮った写真とビデオである。これらによって原因究明がはかどった。意図せぬ軌道上収納試験となったが,有人の有効性大なる事を教えられた。

 SFUは日本に帰還した後,様々な飛行後解析をうけた。表面を覆う断熱多層膜(MLI)の化学分析結果から,ポリイミドの結合が切断され,アミノ酸もどきの化合物が遊離していることが認められた。こうした人工物により天体や持ち帰ろうとするサンプルの汚染は避けねばならない。惑星探査における逆検疫の重要性を認識させられた。

(栗木恭一)






日本初の輸入品

 SFUは再利用が可能な衛星である。当然ハードウェアが地上に戻ってくるのが前提であり,その特徴を生かした実験装置も数多く搭載された。一度宇宙へ打ち上げた衛星を地上に持ち帰るために米国のスペースシャトルが使われた。従って輸出・再輸入手続きが必要となり,関連各省庁・機関の多大な支援を受けた。結果,ついに日本で初めての宇宙からの再輸入品となった。聞けば米国には,NASAなどが宇宙活動で得た物の米国内への持ち込みには関税を免除するという法律があり,月の石やその他の天体からのサンプル持ち帰りにも既に照準が向いている。他方,SFUを船で米国から輸出するため,港湾保守料を貨物対価の0.125%の割合で徴収するとのことで一騒動あったが,さてあれはどうなった事やら?

(清水幸夫)


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