No.200
1997.11

KSC   ISASニュース 1997.11 No.200

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鹿児島宇宙空間観測所



 1号から100号までは,鹿児島宇宙空間観測所(KSC)から打ち上げられた数々の衛星によって,宇宙科学研究所が世界の舞台に駆け上がる過程を報道した。中でもM-3SIIロケットによるハレー彗星探査は数々のネタを提供してくれ,ISASニュースにとっても思い出深いものとなった。101号から200号までは,M-3SIIロケットが宇宙へ運んだ一連の科学衛星により,日本の宇宙科学がまさに世界で中心的役割を果たした。300号が出るころ,ニュースの紙面にはどのようなKSCの姿が映されるか,楽しみなことである。

 101号が出された頃,異常昇温現象の国際観測「ダイアナ」計画の予備実験(1989.8)。特に,各地の漁業連合会との折衝に追いまくられた身では,忘れられない実験だった。年末には,気象台地に新たなシンボルである20mアンテナが端正に完成した。建設途上に台風11号に直撃され,図らずも秒速60mの強風に耐えることが実証されたのは健気であった。

 1990年,「おおすみ」20周年は,「ひてん」打上げとダイアナで明け,1990年代は順調な滑り出しとなった。6月はタイ国のシリントン王女の来訪にKSCはてんやわんや。終始なごやかでクレバーな姿が好感。

 1991年8月には「ようこう」打上げ。KSCが日本の太陽物理学を全世界に周知せしめる発進基地となった。同じく8月に行われたKSCの一般公開には3,000人もの人がつめかけ,有意義な企画となった。

 1992年初めには風と雨と火山灰に見舞われながら,有翼飛翔体の打上げ実験。この年は国際宇宙年(ISY)ということで,それを記念してマイクロウェーブ送電の実験(METS)をS-520ロケットを使って実施。有翼もMETSも,やはり新たな試みは楽しい。

 1993年2月「あすか」打上げ。つづいて5月にはKSCの基幹整備工事の安全祈願祭。起工式直後の梅雨入りで工事は難航したが,7月以降は,衛星の大アンテナを展開できるM台地のクリーンブース,M-Vロケットのための橋,追跡の拠点となる宮原レーダ基地,それぞれに順調に進捗し始めた。11月には開設30周年記念祝典が,先達のご苦労に感謝しつつ盛大に催された。

 1994年1月,M-Vロケットが渡る五運橋の渡り初め。6月,不安定な天候に悩まされつつ,ST-735によるM-Vロケットのファイア・イン・ザ・ホール方式のパイロショック試験。11月にはEXPRESSがブレーメンから空路到着。チームも最終組立調整作業に入る。

 年が明けて1995年1月15日にM-3SIIによって打ち上げられたEXPRESS衛星は,予期せぬ不具合により太平洋の藻屑と消えた。と思いきや後程ガーナ付近で発見というのは後日譚。KSCのプレスルームの重苦しい空気が思い出される。これも授業料と割り切って,次の必勝を期す。12月にはM-Vロケットのためにひときわ高く美しく改修されたM整備塔が姿を現した。ランチャー荷重試験も無事パス。

 1996年5月には初の船舶輸送になるM-Vロケットの第1・2段が内之浦の港に着き,MUSES-B総合オペ。

 1997年M-V打上げ直前にNASAの宇宙科学陣がKSCを視察。「マリリン・モンローが浮浪者の服を着ているみたいだ」と老朽化したKSCの施設・設備を嘆く。2月世界初のスペースVLBI衛星「はるか」発進。

 日本の宇宙科学を「おおすみ」以来支え続けた18mアンテナも壊した。KSCの再開発も装いを新たに展開しようとしている。賢明な日本の文部省は基礎科学の果たす巨大な役割を理解している。ISASニュースの201〜300号を飾る記事を楽しみにしている。

(的川泰宣)


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