No.200
1997.11

相模原キャンパス   ISASニュース 1997.11 No.200

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 相模原キャンパスに全面移転して記念式典が催されたのが1989年5月だから,この特集号のとりあげる期間は相模原キャンパスでの生活とほぼ重なることになる。研究成果では書かれない部分を振り返って見よう。

 まず所長は,西村純教授,秋葉鐐二郎教授,西田篤弘現所長と引き継がれた。研究施設は,93年度に宇宙科学企画情報解析センター(PLAIN),95年度に次世代探査機研究センター(CAST)が設置されKSCはじめ7研究施設となった。5研究部門が新設され,9研究系52研究部門となった。建物は,89年度車庫および休憩室,90年度特殊実験棟の増築,同じく90年度中央機械棟の増築,94年度器材格納庫が完成し,建物面積は約47,000m3となった。

 予算はずっと横ばい状態で実質減となっており,わが国の宇宙開発予算の中で占める割合は10%を切っている。定員は89年度271人から97年度281人と漸増しているが,増員のほとんどが教官で,研究活動を支える技官層は減る一方。さらに調整手当の引き下げで,我々の財布の中味も冷え冷えとしている。

 さて話題を明るくしよう。84年度から相模原キャンパスで始められた宇宙研一般公開は,年々規模が拡大,内容が充実するとともに参加者が増えてきた。

89年度   4,000名  第6回,構内での展示のほかに講演と映画も国民生活センターで開催
90年度   3,800名  第7回,同上
91年度   6,000名  第8回,同上
92年度  10,000名  ISY記念事業,「ミニミニ宇宙学校」,「スタンプラリー」,「宇宙メダカすくい」,宇宙研グッズ販売など新企画多数
93年度  11,000名  朝から雨にもかかわらず,この盛況
94年度  14,000名  好天に恵まれ過去最高の人出
95年度  12,000名  A棟3,4,5階会議室を使用してパソコンゲームやホームページ公開。水ロケット・バブロケットコーナー大人気
96年度  13,000名  水ロケット相変わらずの人気
97年度  10,400名  台風襲来で荒れ模様,「あなたの名前を火星へ」コーナー,水ロケット整理券配布
すっかり定着した年中行事となっている。

 恒例となった「講演と映画の会」は,毎年都内と相模原市のほか,地方都市でも行われている。子ども向けの宇宙学校も大人気で,子どもたちの理科離れが懸念される中,宇宙への夢を育む役割を果たしている。宇宙研への見学者も年々増加しているが,近隣に相模原市立博物館が出来てからは,見学コースに組み込まれているようで一段とにぎわっており,同時に何組もがぞろぞろ所内を移動と言う場面も。

 また,宇宙研の模型やパネルなどの貸出しも多くなり,宇宙研の宣伝に一役買っている。宇宙研ビデオ「飛び出せ宇宙へ」シリーズもすでに6巻まで揃い,記録映画ビデオともども活用されている。パンフレット,リーフレットなども徐々に充実。インターネットのホームページも開設され,ISASニュースもホームページ上で見ることが出来るようになった。

 キャンパス内で国外からのスタッフを見かけるのも当り前の風景になってきた。キャンパスが移って,人の交流が少なくなったといわれる中で,所内対抗スポーツ大会やミニ運動会,5回を数えるミニギャラリー,サークル主催の音楽会,お花見,ビアパーティなど,さまざまな交流が試みられている。

 さて波乱ぶくみの世の中,8年4ヵ月後,300号のころ,宇宙研はどうなっているだろうか。

(周東三和子)


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