次世代分光観測のための光学材料研究:CdZnTe結晶の極低温での赤外線吸収の原因を特定

前嶋 宏志
東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻/宇宙科学研究所 (論文執筆時)

我々は、10-20 µm赤外線での高波長分解能分光天体観測を実現するための光学素子「イマージョン回折格子(IG)」の開発を進めています。高効率なIGの開発には、透過率が高い材料が必要になります。本研究ではIGの有力な材料候補であるCdZnTe(テルル化カドミウム亜鉛)結晶基板の10-20 µm波長帯での吸収率を、実際の使用環境である極低温(10K以下)で測定しました。10-20 µm波長帯での吸収は常温で自由ホール由来の吸収が支配的です。冷却するほど自由ホール密度が下がることから、極低温では吸収率が低下すると今までは予想されていました。しかし我々の測定結果では、予想に反して、極低温で吸収率が増加することがわかりました。この予想との不一致の原因を明らかにするため、吸収のモデルを構築し、測定結果を理論的に説明できるかを調べました。その結果、常温では「自由ホール由来の吸収」が支配的であるのに対し、極低温では「不純物準位に束縛されたホールによる吸収」が支配的になり、そのために極低温で吸収率が増加することを明らかにしました。本研究によって、CdZnTeをIGに適した材料にするには不純物濃度をどの程度低下させる必要があるかを推測できるようになり、IGの実現に近づきました。

研究概要

波長10-20 µm帯赤外線での高波長分解能の分光観測は、惑星形成過程で重要となるスノーライン*1の検出や天体の有機化学情報の取得が可能になるなど、天文学の大きな発展が期待されています。しかし、大気吸収を避けるために衛星に搭載する必要があり、また衛星に搭載するには光学系をコンパクトにしなければならない、さらに観測機器から発する赤外線ノイズを低減するためには極低温(10K以下*2)で運用しなければならないなど、多くの課題があり、未だ実現していません。

図1 従来の反射型回折格子(左)とイマージョン回折格子(IG, 右)の概略図。IGの図のように、高屈折率の材料の中では波長が屈折率(n)分だけ短くなるため、波長分解能を保ったまま1/nサイズにコンパクト化できる。コンパクト化できる点でIGは、サイズに制限のある衛星搭載で有力な素子だと期待されている。

この観測を実現する有望な光学素子が、イマージョン回折格子(IG)です(図1)。高屈折率物質中を光路が通ることで、小さな素子でも大きな光路が得られて高い波長分解能が実現できるため、IGは従来の反射型回折素子と比べて小型化が可能です。この小型化可能な点でIGは衛星搭載に適した素子となっています。ただし、IGは物質中を光が通るため、吸収率の低い材料が必要です。IGの有力な光学材料として、CdZnTe(テルル化カドミウム亜鉛)があります。観測機器から発する赤外線ノイズを低下させるため、このIGは極低温で用いられますが、CdZnTeの極低温での吸収要因が何なのかは今まで明らかになっていませんでした。

図2 測定装置の概略図(Maeshima et al. 2021 一部改)。測定サンプルであるCdZnTe結晶は冷却装置内で室温の300Kから極低温の8.6Kまで冷却される。赤外線光源からのビームを、バンドパスフィルタ*7を用いて形成した特定の波長帯の赤外線ビームを、ビームスプリッターで2つのビームに分岐させる。1つのビームは冷却装置内のサンプルを透過させ、検出器1で透過光強度を測定する。もう一方のビームを検出器2で受けることで、入射ビーム強度の時間変化をモニターし、時間変動による影響を補正する。

そこで、本研究では、CdZnTeの極低温での吸収要因を明らかにし、IG材料としての適正を調べるため、CdZnTe結晶基板の極低温での吸収係数*3を測定しました。光源とフィルタを用いて形成された4つの波長帯の赤外線ビームを冷却装置内に設置したCdZnTe結晶基板に照射して透過率を測定する装置を開発しました(図2)。

図3 10.6 µm 波長バンドでの吸収係数の温度変化の測定値(紫十字)と、吸収モデルのフィッティング結果 (Maeshima et al. 2021 一部改)。トータルの吸収モデルは緑線、自由ホール由来の2種類の吸収(A,B)が水色破線とオレンジ点線、束縛ホール由来の吸収が赤点鎖線で表されている。フィッティングで得られた自由ホール密度、束縛ホール密度の温度変化はそれぞれ黒点線、黒鎖線で表されている。100K付近で、支配的なホールが自由ホールから束縛ホールに変わり、吸収も束縛ホール由来のものが支配的になっている。

これまでは、10-20 µm波長帯の吸収では、自由ホール*4のエネルギーが励起されることによる「自由ホール由来の吸収」が常温で支配的であり、冷却するほど自由ホール密度が下がることから、極低温では吸収率が低下すると予想されていました。しかし、実験の結果、予想に反して、極低温で吸収率が増加することがわかりました(図3の紫点)。この予想との不一致の原因を明らかにするため、吸収の物理モデルを構築し、測定結果を理論的に説明できるかを調べました。その結果、常温では「自由ホール由来の吸収」(図3のA、B)が支配的であるのに対し、極低温では「不純物準位*5に束縛されたホールが価電子帯*6へ遷移することによる吸収」(図3のC)が支配的になり、そのために極低温において吸収率が増大することを明らかにしました。

本研究ではCdZnTeの極低温での吸収要因を、モデルを用いて明らかにすることができました。また今回の結果から、実用的な極低温用IGを実現するためには、CdZnTeの不純物濃度をどの程度コントロールしなければならないかを推測することができます。使用環境での材料適正を調べた本研究により、IGの開発が進み、10-20 µm帯での高波長分解能分光観測の実現が期待されます。

用語解説

  • *1 スノーライン : 原始惑星系円盤内の、水が気体から固体になる中心星からの位置のこと。原始惑星系円盤とは、惑星のもととなる若い星周囲に存在するガスと個体微粒子からなる円盤である。中心星から遠いほど低温になり、スノーラインの内側では水が気体状態(水蒸気)、外側では固体状態(氷)で存在する。水が固体として存在できるかどうかで、惑星の中心コアが大きく成長するかが変化すると考えられているため、スノーラインの位置は惑星形成で重要な意味を持つ。
  • *2 K(ケルビン) : 温度の単位。摂氏温度の値に273.15を足すとケルビン温度の値となる(例:0℃=273.15K)。
  • *3 吸収係数 : 物質中でどの程度光が吸収されるかを表す物理量。例えば、吸収係数が1cm-1の物質中を1cm光が進むと、光強度は1/e=(約2.7分の1)となる。
  • *4 ホール(正孔): 電子欠損により相対的に正の電荷を持った状態のことで、「正(プラス)の電荷を持った電子」のように振る舞う。物質中を自由に動き回る状態(自由ホール)や、エネルギー準位に束縛された状態(束縛ホール)などで存在する。
  • *5 不純物準位: 不純物が添加されることで生じるエネルギー準位のこと。
  • *6 価電子帯: 絶縁体や半導体中の、電子によって満たされたエネルギーバンドのこと。自由ホールは電子欠損によって価電子帯の中に生じる。
  • *7 バンドパスフィルタ: 特定の波長帯の光のみを透過するフィルタ。

論文情報

雑誌名 Journal of Electronic Materials
論文タイトル Infrared Absorption and Its Sources of CdZnTe at Cryogenic Temperature
DOI https://doi.org/10.1007/s11664-021-09361-1
発行日 2022年1月3日
著者 Hiroshi Maeshima, Kosei Matsumoto, Yasuhiro Hirahara, Takao Nakagawa, Ryoichi Koga, Yusuke Hanamura, Takehiko Wada, Koichi Nagase, Shinki Oyabu, Toyoaki Suzuki, Takuma, Kokusho, Hidehiro Kaneda, Daichi Ishikawa
ISAS or
JAXA所属者
MAESHIMA Hiroshi(東京大学大学院 理学系研究科/宇宙科学研究所 宇宙物理学研究系), MATSUMOTO Kosei(東京大学大学院 理学系研究科/宇宙科学研究所 宇宙物理学研究系), NAKAGAWA Takao(宇宙科学研究所 宇宙物理学研究系), WADA Takehiko(宇宙科学研究所 宇宙物理学研究系), NAGASE Koichi(宇宙科学研究所), SUZUKI Toyoaki(宇宙科学研究所 宇宙物理学研究系)

執筆者

前嶋 宏志(MAESHIMA Hiroshi)
2016年 東京大学 理学部 物理学科 卒業
2018年 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 修士課程 修了
2021年 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 博士課程 修了
2016-2021年 宇宙科学研究所 宇宙物理学研究系 赤外線グループ 中川研究室(研究執行当時)
2021年-現在 民間企業に就職