月のうさぎはいつどのようにして餅をつくようになったのか

庄司 大悟・宇宙科学研究所 太陽系科学研究系

月の表面には玄武岩質と斜長岩質の岩石によって色の異なる模様ができています。アジア各国ではこの模様は「うさぎ」の形であるとみなされていて、日本の伝統的な考え方では月のうさぎは杵と臼を使って餅をついているとされています。月のうさぎが杵と臼を使っているのは中国の文化が強く影響していますが、中国ではうさぎが作っているのは餅ではなく不死の仙薬です。いつどのようにして日本の月のうさぎが餅をつくようになったのかについてはよく分かっていません。今回、主に江戸時代の書物に掲載されている月の図像を手がかりに、日本で月のうさぎが餅をついていると考えられるようになった時期とその社会的背景について推測を行いました。月の図に見られる臼の形状の変化から、月のうさぎが餅をつくようになったのは18 世紀前半あたりと推定でき、その背景として、知識人層による儒教の経典をはじめとした中国の書物の受容や、元禄期以降における出版物の普及および庶民層の読書人口拡大が大きく関係している可能性が高いことが分かりました。

研究概要

人類の文化と地質の関わりを考える学問分野に文化地質学があります。例えば、各地域における食文化などは、人間自身の営みに加え、その土地ではどのような作物が育つかというような地質的条件が大きな影響を与えています。

しかし、人類の文化に影響を与えたのは地球上の地質だけに限りません。その代表的なものが月の地質です。日本では伝統的に、月の模様は「うさぎ」の形であるとされ、「月のうさぎは月で餅をついている」と考えられています。月にうさぎがいるという考えは日本以外でもアジア各国に見られ、日本の月のうさぎも中国の文化がもとになっていると思われます。しかし、中国の月のうさぎがついているのは「餅」ではなく不老不死の薬(仙薬)です。日本の月のうさぎが餅をついている理由としては、満月を表す「望月」から「餅つき」が連想されたという説がよく挙げられていますが、資料に基づいた根拠があるわけではなく、また、餅つきという考えができた時期に関してもよく分かっていません。そのため本研究では、主に日本の書物に掲載されている図像を手がかりとして、月のうさぎが餅をつくようになった時期やその社会的背景についての考察を行ないました。

図1 (a):天寿国繍帳てんじゅこくしゅうちょう*1(中宮寺所蔵,7世紀,パブリックドメイン画像)。(b):九曜秘暦くようひりゃく*2(メトロポリタン美術館所蔵,1125年,パブリックドメイン画像)。

飛鳥時代からの日本の月のうさぎの図を見ていくと、室町時代以前のものでは、月のうさぎは口の細い壺のような容器を使っているか、もしくはその場に座っているだけの構図が主流となっています(図1)。しかし江戸時代(17世紀)になると、それまでのものとは一変し、明確に杵と臼を使っている月のうさぎが書物に現れるようになります(図2)。この構図は明の時代に中国で出版された『五経大全』という儒教の経典や『三才図会』という百科事典に見られる構図と同じです(図3)。そのため、江戸時代の書物に現れたうさぎの図は、儒学者のような知識人層によって中国の書物から取り入れられたのだと推測できます。

図2 (a):訓蒙図彙きんもうずい*3(1666 年,国立国会図書館デジタルコレクションより)。(b):増補宝暦大雑書ぞうほほうりゃくおおざっしょ*4(1781年,筆者所蔵)。

中国の書物の影響によって杵と臼を使うようになった日本の月のうさぎですが、18世紀に入る頃から徐々にうさぎの臼が、中国の書物にあるような側面が直線状のものから(図2 a)、くびれた形へと変化していきます(図2 b)。日本では穀物をつく臼は側面がくびれた形状のほうが古く、側面が直線の臼は江戸時代中期以降から使われ始めたと考えられています。つまり、17世紀には中国の書物と同じ形状であった月のうさぎの臼が、18世紀以降、徐々に日本伝統の形状をした臼へと変わっているのです。本研究では、うさぎの臼の形状が日本伝統のものに変化し始める18世紀前半こそ、月のうさぎが餅をついていると考えられるようになった時期ではないかと結論づけました。

図2 (a):五経大全ごきょうたいぜん*5(1471 年,国立公文書館デジタルアーカイブより)。(b):三才図会さんさいずえ*6(1609 年,国立国会図書館デジタルコレクションより)

そして、餅つき誕生の社会背景としては書物の流通量と識字率の増加が挙げられます。江戸時代というのは社会が安定してきたこともあり、知識人層だけでなく庶民も書物に触れるようになった時代です。特に元禄期以降その傾向は顕著となりました。そのため、18世紀になると、書物に描かれた月のうさぎの図も多くの人々の目に触れたことと思われます。しかし、書物にはうさぎが何を作っているのかの記述はありません。このとき知識人ならば、月のうさぎが作っているのは仙薬であることを知っていたかもしれません。しかし、日常生活の中で書物に触れるような人々にとって杵と臼でつくものといえば、薬よりも餅の印象の方が強かったのではないでしょうか。そのため、月のうさぎがついているのは餅であると解釈され、そんな人々の解釈に合わせるようにして、図の中の臼も次第に変化していったのだと思われます。

用語解説

  • *1 天寿国繡帳 : 聖徳太子の妃であった橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が聖徳太子の死を悼んで作らせたと言われている刺繍入りの帳(とばり)。
  • *2 九曜秘暦 : 日月木火土金水の七つ(七曜)に、羅睺(らご)と計都(けいと)の二つを加えた九つの星(九曜)を神格化して表現した絵。
  • *3 訓蒙図彙 : 児童の教育を目的として中村惕斎(なかむらてきさい)が著した百科事典。
  • *4 増補宝暦大雑書 : 日常生活の様々な吉凶を著した書物を大雑書(おおざっしょ)という。様々な版が出版され、増補宝暦大雑書は田中庄兵衛によって出版された大雑書。
  • *5 五経大全 : 明の永楽帝が胡広(ここう)らに命じて作らせた五経の注釈書。
  • *6 三才図会 : 明の王圻(おうき)らによって編纂された百科事典。

論文情報

雑誌名 掲載誌:地質と文化(ISSN 2433-6750) 第4巻 第2号
論文タイトル 月のうさぎはいつどのようにして餅をつき始めたのか
URL https://drive.google.com/file/d/1mvUoyJig0YSVFOt2AtwLIRHu46ATgNf1/view
発行日 2021年12月31日
著者 庄司大悟
ISAS or
JAXA所属者
庄司大悟(宇宙科学研究所 太陽系科学研究系)

関連リンク

筆者からひとこと

日本を含むアジア各国では、1000年以上(国によっては2000年以上)にわたって、月の模様の原因は「うさぎ」がいるためだと考えられてきました。現代の科学的な見方からすると、月にうさぎがいるというのはおかしなことです。しかし、探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」を撮影したとき、その姿は「ラッコ」のようだと表現されました(イトカワについてのISASニュース)。理学や工学による観測においても、対象の解釈には人間の素朴な感性が伴ってくるのです。紀元前から月のうさぎは人々が月を観察・解釈する際の橋渡し役となってきました。この先、人類はますます月に進出していくと考えられています。理工学を通した宇宙開発や探査であっても、月のうさぎは事あるごとに私たちの隣に寄り添ってくれることでしょう。

執筆者

庄司 大悟(SHOJI Daigo)
ドイツ航空宇宙センター(DLR)惑星科学研究所、東京工業大学地球生命研究所(ELSI)を経て、JAXA宇宙科学研究所研究員。