的 川 泰 宣
◎1922年,アルベルト・アインシュタイン来日。
当時北海道在住の小田先生のご両親が札幌公会堂に講演を聴きにいく。
お母さまのお腹には赤ちゃん。
翌年に出産,稔と命名。
胎教の一席。
◎稔少年は幼くして「ケンキュウ」という語を知る。
ハナクソがどうして鼻の穴の中で大きくなるのか不思議に思い,小さな箱でハナクソを「育てた」が,一向に大きくならないのでおかしいなと思った。
ある日その箱を開けたお母さまが仰天した。
◎新婚旅行で知枝夫人と熱海へ。
直後に湯川先生への「御前講演」を控え,必死で原稿づくり。
新婦はせっせと鉛筆削り。
仲居さん「お宅のご主人は新聞記者ですか?」
新郎新婦「・・・・・」
◎1976年2月,
日本初のX線天文衛星CORSAを搭載したM-3C-3ロケットが太平洋の藻屑と消えた。
バー・ロケットでの小田先生のへべれけのつぶやき
「これで日本のX線天文学は,アメリカに十年は置いて行かれた・・・・。」
◎1979年2月,
CORSAの雪辱なって「はくちょう」と命名。
長寿だった「はくちょう」は,外国のX線天文衛星が不調に陥る中で孤軍奮闘し,
日本のX線天文学を一挙に国際舞台に。
小田先生,嬉しそうに
「あんまり人使いが荒いので,《はくちょう》ではなくて《はくじょう》って呼ばれているらしいよ。」
◎内之浦の宿「福之家」での会話。
小田「ボクは若い頃,これでも《星の王子さま》って呼ばれててね。」
的川「へえ,それが今は《星のおじいさま》で?」
小田「こいつめ。」
宇宙研運動会にて(1985年2月)
◎小田邸で。
「若い人ってのはね,邪魔さえしなければ伸びて行くもんだよ。
あれこれやりたいことに制限を加えようとすると成長しなくなる。」
◎宇宙研御退官直前に二人切りでアメリカ各地の挨拶まわり。
パサデナのホテルで。
「所長としてのボクは,研究をほどほどにして,もっとリーダーシップを発揮すべきだったかも知れないね。」
◎退官してしばらくしての電話での会話。
小田「的川くん,最近ワープロを使い始めたんだけどね。とっても便利なもんだねえ」
的川「そうですね。でもそのお言葉は,宇宙研にいらっしゃった時にお聞きしたかったですね」
小田「へっへっへっ」
(宇宙科学研究所)
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