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No.242 |
小田先生の想いで
ISASニュース 2001.5 No.242
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岩 田 冨 美小田研に来て,小田先生にお会いし,初めに,「岩田さん,秘書はお茶くみではありません。」また「貴女(秘書)と僕の関係は猿回しと猿のようなものです。僕は貴女の言われるように動くだけです。」と言われ,自分が思っていたことと,あまりにもかけ離れた発想に,ただ,ただびっくりするだけでした。そのようにおっしゃるだけに,仕事に関しては,決して私が先生を動かすようなことはありませんが,与えられた仕事をどのような方法でやっても構わないと言う,お考えだったのでとてもやりやすかったように思います。 先生は,本当に気さくな,偉ぶったところの無い方でした。それを良いことに,私はKSCへ行かれる時に,先に出張している人に渡すものを,お願いしたことがあります。私自身何とも思ってなかったのですが,そばで見ていたメーカーの人は,目を丸くして,「岩田さん,所長と言えば会社では社長ですよ。我々はとても社長にそんなことは頼めません。」と言われたことがありました。また,会議等で嫌なこともあるだろうと思うのですが,全く顔にでない方でした。ですから,顔色を見て,何かをすると言うような気を遣う必要は全くなかったです。尤もこれは外での顔で,お家ではいろいろとこぼしていらしたかも知れません。
事務部の送別会にて(1988年1月) それから,皆さんご存じでしょうが,小田先生はお酒がお好きでした。特に外国生活が長かったからでしょうか,ビールは水のように思っていらしたようです。海外出張から帰られると,約一週間は,お昼の食事時に水の代わりにビールでした。だんだん出張の回数が増えるにつれ,水に変わる頃にまた出張,帰って来られるとビールと,水になる時が無くなった時期もありました。東京ディズニーランドが出来ていらっしゃった時も,「アメリカのディズニーランドの食堂ではビールはOKなのに,日本はだめなんだよね。」と,がっかりしたようにおっしゃっていたのを思い出します。 趣味も沢山お持ちで,絵もお描きになれば,音楽もされるという方でした。絵の方は草花の画集がありますからご存じの方も多いでしょうが,音楽と言えば,1988年に開催された国際会議(小田コンファレンス)の懇親会で,MITのジョージ・クラーク博士のピアノ伴奏で笛を吹かれたのを思い出します。終わってから,「学会で話をするのでは『あがった』ことは無かったが,これは『あがって』しまったとおっしゃって苦笑されていました。 とてもダンディな先生でしたから,思うように山歩きなど出来なくても,かっこよくステッキでもついていれば良いと考えて,手術などされなければよかったのにと思うのは私の我が儘でしょうか。 (宇宙科学研究所) |
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