研究者はたくさんの冒険とラッキーの積み重ね。
「迷わず行けよ。行けばわかるさ。」
~公益財団法人岩垂奨学会 創立90周年記念講演会、講演インタビュー:和泉究氏~

和泉究氏
写真提供:公益財団法人岩垂奨学会

和泉究氏(宇宙科学研究所 宇宙物理学研究系/准教授)が、2024年10月26日に開催された公益財団法人岩垂奨学会 創立90周年記念講演会にて発表を行いました。岩垂奨学会は、過去に岩垂奨学会から奨学金の給付を受け、理工学研究および医薬学研究において顕著な功績を挙げて活躍している研究者に対して、その功績を顕彰し、今後の研究の一層の発展を祈念することを目的として、2020年に岩垂奨学会賞を創設しています。和泉先生は、その栄えある第1回目の岩垂奨学会賞を、「史上初の重力波直接観測に向けたレーザー干渉計の実験研究」という研究課題で受賞し、今回の記念講演会には受賞者として登壇されました。

本インタビューは、和泉先生の「ぜひ若い学生たちに岩垂奨学会に限らず様々な制度や機会を活用し、幸運を掴んで欲しい」という思いから実現したものです。岩垂奨学会の講演について、和泉先生の学生時代の話も交えながら、学生に向けてのメッセージを伺いました。

岩垂奨学会 創立90周年記念講演会での発表について、教えてください。

アルベルト・アインシュタイン
私は大学院生の頃から重力波の研究に取り組んでいて、ちょうど修士課程の時に岩垂奨学会から奨学金の給付を受けていました。重力波とは、時空の歪みが波として伝搬する現象です。重力波の存在は1916年にアルベルト・アインシュタインが自身の相対性理論に基づいて予言していたものの、重力波の振幅は極小のため、観測は絶望的とされていました。その後、アインシュタインの予言から約100年の時を経て、2015年に初めて重力波が直接観測されました。私はその研究チームで仕事をしていたため、重力波初観測の達成に大きく貢献したとして、2020年に岩垂奨学会賞をいただきました。創立90周年記念講演会では、その受賞対象となった重力波初観測の研究に関して発表を行いました。

岩垂奨学会には、他の奨学金制度とは少し変わった点があるそうですね。

岩垂奨学会は、国内で初めて大学院生を対象とした奨学金制度を始めていたり、設立当時から給付型で奨学金の返済がなかったりと、スペシャルな点がいくつかあります。
その中でも、私も含む多くの岩垂奨学会のOB・OGの記憶に残っている支援があります。それは、年に1度、岩垂奨学会が給付を受けている学生達を高級ホテルに招待して、コース料理を振舞ってくれたことです。私にとって、このような改まった場での食事会はこの時が初めてだったので、着慣れない背広を着て、ぎこちない手つきで料理を食べながら当時の岩垂奨学会の理事と会話したのは、とても印象に残っています。大学院生の身分ではなかなか得ることができない経験の場を設けてくれたのは、岩垂奨学会ならではの計らいだと思います。

普通の学生生活ではなかなかできない体験ですね。和泉先生にとって、学生時代に「これはやっておいて良かったな」と思うことはありますか?

「やっておいて良かったこと」というのは、あまりピンと来ないですね。基本的には既成概念にとらわれずに、好きなことをやるのが1番だと思います。今後、AI(人工知能)が補助してくれる時代に入っても、アイディア出しをするのは人間です。そして、アイディアは、結局のところ研究者の実体験に基づいています。読書でも音楽でもゲームでもなんでも良いので、自分の好きなことをやり続けることが大事です。自分の研究とは関係ないように思えるバックグラウンドの事柄が、研究者のカラーになっているように思います。

私はよく「Be Lucky(幸運でいてください)」という言葉を、若い世代向けの講演で伝えています。私のこれまでの人生を振り返ると、様々な出会いや経験を通して積み重ねたラッキーが、今の成果を導いてくれたと感じています。私が宇宙を仕事にしようと思ったのも、重力波天文学の道に進んだのも、ほとんどがラッキーの巡り合わせでした。ちなみに、STSフォーラム*1に参加した際、ノーベル賞受賞者4-5名に「なぜノーベル賞が取れたと思いますか?」と質問したところ、私が会ったノーベル賞受賞者の全員が「Lucky」と言っていました。研究成果を上げるには、ラッキーが必要です。

大変興味深いお話ですね。和泉先生が積み重ねたラッキーについて、聞かせてください。まずは、どのようなきっかけで宇宙や重力波の研究の道を目指すこととなったのでしょうか?

宇宙に関する仕事を意識し始めたのは、高校生の時です。私は理数科のクラスに所属していたのですが、高校に入学した当時はギターや洋楽に夢中で、さらに読書が好きだから書くのも得意だろうと思い、音楽雑誌『BURRN!』の編集者を目指していました。そんな中、高校1年生の冬に、先生から「和泉君、これいいんじゃない?」と東京大学木曽観測所*2主催の2泊3日の観測実習を勧められました。当時から天文ももちろん好きだったので、すぐに参加を決めました。私の通う高校と木曽観測所は近いのですが、この実習自体は全国の天文学に関心がある高校生向けに開催されているもので、遠くからの参加者もいました。この実習では、研究テーマに基づいて、観測で得たデータや与えられた情報をもとに、天体解析ソフトも活用しながらデータ解析を行い、最後に研究成果の発表を行いました。データ解析に苦しむ参加者がたくさんいた中で、私はというと「こんなに楽で、しかも自分が好きなことで…こんなに素晴らしい仕事はない!」と思いました。何気なく参加したこの実習がきっかけで、私の目指す先は『BURRN!』の編集者から、天文学者に変わりました。

高校時代にはもう1つ印象的な出来事がありました。私の通う高校の理数科では、特別授業で課題研究があって、この授業では学生が自らテーマを設定して研究を行います。私が高校2年生の時に、ちょうどしし座流星群の極大期があったので、これを撮影して研究テーマにしたら面白いだろうと思い立ちました。実際、課題研究での活動は面白いことばかりで、しし座流星群を観測するために学校の屋上に泊まり込んだり、撮像したデータを解析したり、それまで言葉を交わしたことのなかった地学の先生から話を聞いたりと、すごく楽しかったです。さらにこの研究活動で県知事賞をいただき、大学進学時の書類に記載して進路を決めたりと、とてもラッキーでした。

重力波の研究をしようと決めたのは、大学3年生の時に受けた国立天文台の先生の集中講義がきっかけです。この講義は1つ上の学年が対象でしたが、こっそり聞きに行っていました。そして、その初回の講義で先生が発した「重力波は直接観測できたらノーベル賞を取れますよ」の一言で、「じゃあ、これで!」と思い、重力波の研究をしている大学院へ進みました。

確かに、たくさんのラッキーが和泉先生の味方をしていますね。先生が岩垂奨学会から支援を受けていた大学院生の頃は、どのような研究生活を送られていたのでしょうか?

大学院生の頃は、岩垂奨学会等の支援のおかげもあり、経済的な不安がない状態で研究生活を送っていました。修士課程の間は、国立天文台に敷設されている干渉計型重力波アンテナ TAMA300*3で重力波の実験的研究をする中で、デジタル装置の導入に取り組んでいました。同じ頃、米国では重力波計画は基本的にデジタル制御で進める方針で動いていたため、最新のデジタル制御を視察するため、当時の助教の方と私はカリフォルニア工科大学に赴きました。その視察の時に、カリフォルニア工科大学のキャンパス内にある40mのレーザー干渉計のプロトタイプで行われている面白い研究について知り、「ぜひ、ここで研究したい」と願い出たところ、良い返事をいただけたので、博士課程からはカリフォルニア工科大学に駐留して実験をすることとなりました。

LIGOハンフォード観測所
LIGOハンフォード観測所

その後、2012年頃に博士論文を書くために帰国したのですが、ちょうどその時にLIGO(ライゴ)ハンフォード観測所*4の所長から、「カリフォルニア工科大学では、大変よくやってくれました。LIGOハンフォード観測所で、研究員として働きませんか?」とオファーがありました。この申し出をありがたく承諾し、博士論文が書き終わったと同時に再び渡米しました。そこから5年ほどは、LIGOハンフォード観測所で寝る間も惜しんで必死に実験にあたり、重力波初観測を達成しました。2017年からは、宇宙研(宇宙科学研究所)で研究をしています。

現在は、どのような研究に取り組まれているのでしょうか?

今は、宇宙空間にレーザー干渉計を構築して、宇宙から重力波観測を行う研究に取り組んでいます。この研究が実現したら、宇宙が生まれた瞬間を見ることができるので、続ければノーベル賞が獲れるかもしれません!

講演中の和泉究氏
写真提供:公益財団法人岩垂奨学会

現在、天文学はマルチメッセンジャー時代にあります。メッセンジャーとは、例えば星から発生した光が地球に届くと天体を観測することができますが、ここで言う光のような星から発生して届くものを、我々はメッセンジャーと呼びます。これまでは、メッセンジャーとして電波・光赤外線・X線などの電磁波を使っていましたが、近年、ニュートリノや重力波もメッセンジャーに加わり、メッセンジャーがだんだん増えたことで、研究者は研究内容に応じてメッセンジャーを選ぶ時代になりました。このメッセンジャーの中で、重力波がどのような存在かと言うと、ずいぶん尖っています。重力を遮断できないのと同じように、重力波は1度放出されると遮断ができません。先ほど、宇宙が生まれた瞬間を見ることができると言いましたが、これは、重力波は遮断されずに何でもすり抜けるため、初期宇宙に発生したとされる重力波もそのまま見ることができるということです。初期宇宙がどうなっているか、気になりませんか?私はすごく気になっていて、「じゃあ、初期宇宙を見て来よう!」というのが、私の現在目指しているところです。

最後に、和泉先生から学生の皆さんへメッセージをお願いします

私たちは、日々冒険をしています。冒険と聞くと、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、私たちは「トイレットペーパー買おうかな」とか「右と左、どっちの道に進もうかな」というような些細なものも含め、たくさんの決断を積み重ねていて、私はその決断の1つ1つが冒険だと考えています。この冒険に向かう心持ちとして好きな句があるので、若い皆さんに捧げます。

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ。

アントニオ猪木、引退式より(一休宗純の言葉と言われている)

一見すると、冒険に進むことはリスクに思えますが、別にリスクではありません。まずは、「迷わず行けよ。行けばわかるさ。」です。
本日の話の中では、ラッキーについても触れました。私が今まで歩んできた道を聞いて、たくさんのラッキーが積み重なっていると感じませんでしたか?高校生の時に実習に行ったのも、しし座流星群の極大期と課題研究の時期が重なったのも、集中講義をきっかけに重力波の道に進んだのも、米国へ視察に行ったらカリフォルニア工科大学で勉強することになって、それが評価されてLIGOハンフォード観測所で働いて、重力波の直接観測を達成できたのも、すべて冒険して積み重ねたラッキーの結果です。私は、皆さんが冒険に向かう際の1つ1つの決断が、幸運であれと願っています。皆さん、ラッキーでいてください!

本日は貴重なお話をありがとうございました!和泉先生の研究の益々のご発展と、若い学生さん達がたくさんのラッキーを積み重ねることをお祈りしています。


用語解説

  • *1 STSフォーラム:科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム(Science and Technology in Society forum)の略称。世界中の科学者や政治家等が一同に会して、科学技術と人類の未来に関して議論する国際会議。毎年10月に国立京都国際会館で開催される。この会議では、40歳以下の若手研究者とノーベル賞受賞者が交流するプログラム(ヤング・リーダーズ・プログラム)が設けられており、和泉先生はJAXA代表として3年連続で参加されている。
  • *2 東京大学木曽観測所:長野県木曽郡にある天文台。口径105cmのシュミット望遠鏡などの施設が整っており、最先端の天文学研究が行われている。1998年から毎年3月下旬に高校生に向けて「銀河学校」という泊まり込みでの天文学研究の体験実習を開催している。
  • *3 干渉計型重力波アンテナ TAMA300:1995年より国立天文台三鷹キャンパス内に建設された、基線長300mの干渉計型重力波望遠鏡。
  • *4 LIGOハンフォード観測所:重力波検出器LIGO(Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory)が設置された観測所。LIGOは、米国ルイジアナ州のリビングストン観測所とワシントン州のハンフォード観測所の2か所に設置されている。

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