火星大気における塩化水素の発見と生成・消失過程

青木 翔平・宇宙科学研究所 太陽系科学研究系

塩化水素(HCl)は、地球のオゾン層破壊や金星の雲生成など、地球型惑星の大気で重要な役割を果たしていることが知られていましたが、火星大気では見つかっていませんでした。しかし近年、ESA(欧州宇宙機関)のTGO探査機の観測により、火星大気中に微量のHClが発見されました。本研究では、火星大気におけるHClの生成・消滅過程を調査するために、データ解析をさらに進めました。まず、火星大気中の塵(ダスト)が多くなる北半球の秋・冬にかけてHClが2年続けてより多く検出されることから、ダストがHClの生成に重要な役割を果たしていることを示しました。また、HClと水蒸気の高度分布が非常によく似ていることから、水蒸気から作られる大気分子や水蒸気の凝結による雲生成が、HClの生成・消滅過程に強く関与している事を示唆しました。さらに、HClが北半球の冬の終わりにかけて、毎年急激に減少することを明らかにし、未知の強い消失過程の存在を示しました。火星の地表面に存在する塩素化合物と大気中のHClの間にどのような循環があるか、さらに研究を進める必要があります。

研究概要

火星研究者は予てから、火山活動に起源をもつ可能性のある塩素や硫黄を含む大気分子の探索を続けてきました。近年、塩素を含む主要な分子の一つである塩化水素(HCl)が、ESA(欧州宇宙機関)のTGO*1火星探査機に搭載された赤外分光計ACS*2の観測によって発見されました*3。しかし、HClが同時に遠く離れた場所でも発見されたことや、他の火山活動起源の分子が未検出であることから、現在の火山活動によるものではないことがわかりました。本研究では、地球大気でのオゾン層破壊や金星大気での雲生成など、地球型惑星で重要な役割を果たしているHClが、火星大気ではどのような過程で生成・消滅しているのかを探るために、TGO探査機に搭載された赤外分光計NOMAD*4による観測データ解析をさらに進めました。

火星環境における顕著な特徴のひとつが、大気中に常に存在する塵(ダスト)です。本研究では、火星大気中のダストが多くなる北半球の秋・冬にかけて、HClが2年続けてより多く検出されることを明らかにし(図1)、ダストがHClの生成に重要な役割を果たしていることを示しました。火星の地表面では塩素を含む化合物が広く見つかっていますが、それらがダストに一部含まれており、大気中に放出された可能性があります。

また、HClと水蒸気の高度分布が非常によく似ていることも見つけました。水蒸気も、HClの生成・消滅過程に強く関与している可能性があります。水蒸気から生成されるヒドロペルオキシルラジカル(HO2)はClと反応しやすく、HClの主要な生成過程であると考えられます。また、水蒸気が凝結して氷雲となる際にHClも取り込まれる事により、似たような高度分布になる可能性も示唆しました。

さらに、HClが2年続けて北半球の冬の終わりにかけて、急激に減少していることがわかりました(図1)。この減少のスピードは、従来の光化学では説明できず、何らかの強い消失過程が存在することを示唆しています。

図1 TGO探査機搭載NOMADによって検出された火星年34*5 (上図a)と火星年35(下図b)における火星大気中のHCl量 (Aoki et al., 2021, GRL, 改編)。横軸は季節、縦軸は緯度を示す。背景の色は大気中の水蒸気量(白~青色)とダスト量(白~橙色)を表す。円形はHCl観測が行われた季節・緯度を示し、白抜きの場合は未検出(0.3 ppb以下)、灰色は計測不能、他の色はHClの量(高度30kmより下の最大量)を表す。火星年34、35ともに大気中のダスト量が多くなる北半球の秋から冬にかけてHClが増大し、冬の終わりに急激にHCl量が減少する様子が見て取れる。

本研究でいくつかの示唆を与えたものの、HClの生成・消滅過程はまだ完全に理解されていません。火星の地表面に存在する過塩素酸塩(ClO4-)は非常に毒性が強く、生命に有害な物質です。大気中のHClとどのような循環があるのか、それが火星の長い歴史でどのような意義をもつのかを解明していくために、さらに研究を進める必要があります。

用語解説

  • *1 ExoMars Trace Gas Orbiter : エグソマーズトレースガスオービター。ESA(欧州宇宙機関)による火星探査機。生命や地学活動の痕跡となる気体の探索や火星大気の鉛直高度分布を調べるため、2018年から観測を行う。
  • *2 Atmospheric Chemistry Suite : TGO探査機に搭載された赤外分光計の一つ。ロシア宇宙科学研究所(IKI)が開発した。火星大気の微量成分の観測を行う。
  • *3 以下の論文より引用: O. Korablev, K. S. Olsen, A. Trokhimovskiy, F. Lefèvre, F. Montmessin, A. Fedorova, M. Toplis, J. Alday, D. Belyaev, A. Patrakeev, N. Ignatiev, A. Shakun, A. Grigoriev, L. Baggio, I. Abdenour, G. Lacombe, Y. Ivanov, S. Aoki, I. Thomas, F. Daerden, B. Ristic, J. Erwin, M. Patel, G. Bellucci, J. J Lopez-Moreno, A. C. Vandaele, Transient HCl in the atmosphere of Mars, Science Advances, 7, (7), 2021年2月10日.
  • *4 Nadir and Occultation for MArs Discovery : TGO探査機に搭載された赤外分光計の一つ。ベルギー王立宇宙科学研究所(IASB-BIRA)が開発した。ACSとともに火星大気の微量成分の観測を行う。
  • *5 火星年: 1955年4月11日を「火星年1」として付けられた火星の暦。

論文情報

雑誌名 Geophysical Research Letters
論文タイトル Annual Appearance of Hydrogen Chloride on Mars and a Striking Similarity With the Water Vapor Vertical Distribution Observed by TGO/NOMAD
DOI https://doi.org/10.1029/2021GL092506
発行日 2021年6月3日
著者 S. Aoki, F. Daerden, S. Viscardy, I. R. Thomas, J. T. Erwin, S. Robert, L. Trompet, L. Neary, G. L. Villanueva, G. Liuzzi, M. M. J. Crismani, R. T. Clancy, J. Whiteway, F. Schmidt, M. A. Lopez‐Valverde, B. Ristic, M. R. Patel, G. Bellucci, J.‐J. Lopez‐Moreno, K. S. Olsen, F. Lefèvre, F. Montmessin, A. Trokhimovskiy, A. A. Fedorova, O. Korablev, A. C. Vandaele
ISAS or
JAXA所属者
AOKI Shohei (太陽系科学研究系)

関連リンク

執筆者

青木 翔平(AOKI Shohei)
東北大学理学部卒業、東北大学理学研究科博士課程修了。
イタリア宇宙科学研究所(INAF/IAPS)博士研究員、ベルギー王立宇宙科学研究所(IASB/BIRA)博士研究員、リエージュ大学(ULiège)ベルギー国立科学研究基金研究員を経て、2021年4月より宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所プロジェクト研究員。