月から揮発性元素を枯渇させるメカニズムを発見

兵頭龍樹・宇宙科学研究所 太陽系科学研究系

月は、地球に起こった最後のジャイアント・インパクトの副産物として形成されたと考えられています。しかし、そのジャイアント・インパクトの全容(形成された月の初期状態など)は未だに謎に包まれています。一方、NASAの宇宙飛行士が月から持ち帰った石(アポロサンプル)を分析すると、月と地球の材料物質は非常に似ていますが、月からは蒸発しやすい元素(揮発性元素)がより枯渇していることが明らかになりました。これは月の形成過程を反映した結果と考えられますが、どのような物理化学プロセスで揮発性元素の枯渇が起こったのかは未解明の問題です。本研究では、形成直後の月に存在したと考えられるマグマオーシャン表面から上空に向かう蒸発大気の散逸モデルを新たに構築することで、アポロサンプルで得られた揮発性元素(KやNa)の枯渇度を説明することに成功しました。本研究によって、月は形成直後の約1,000年の間、マグマオーシャンの温度が約1600~1700Kであり、地球から地球半径の約3~6倍の距離(現在は約60倍)に存在していたことが示唆されました。

研究概要

月は、地球に起こった最後のジャイアント・インパクト*1の副産物として形成したと考えられています。月は形成直後、地球のすぐ近く(地球半径の約3~6倍。現在は約60倍)に位置し、表面はマグマオーシャン*2に覆われていたと考えられています。本研究では、そのような状況における月表面からの蒸発大気の散逸モデルを新たに構築しました。まず、ある温度と圧力におけるBSE物質(Bulk Silicate Earth)*3の蒸発大気の組成を、室内実験と熱力学計算を用いて明らかにしました。散逸モデルは、太陽風が発生する力学モデル(Parker solution)を月マグマオーシャンに応用することで構築しました(図参照)。その結果、月表面から上空(月重力圏外)に向かう蒸発大気の散逸流の存在(条件)を発見しました。そして本研究では、BSE物質を初期物質として、アポロサンプルで報告された揮発性元素の枯渇度が達成される熱力学的条件(マグマオーシャンの温度や継続時間など)および力学条件(地球-月の距離など)を探しました。

本研究によって、アポロサンプルにおける揮発性元素(KやNa)の枯渇度が説明されうる条件は、(1) 約1,000年の間、(2) 月のマグマオーシャンが約1600~1700Kで、(3) 月が地球から地球半径の約3~6倍に位置することであることが明らかになりました。これらの条件は、どれも先行研究で起こり得ると報告されています。マグマオーシャンの温度がより高く(または継続時間がより⻑く)なると、観測値以上の揮発性元素が月から無くなることになります。月と地球の距離がより離れている場合は、地球重力が月周囲で与える影響が小さくなり、蒸発大気が月重力により強く捕獲されることで揮発性元素の枯渇が効率的に起こらなくなります(専門用語で言うと、月のヒル圏が、地球-月の距離の増加に伴い大きくなることで、地球の潮汐力が効かなくなり、蒸発大気が月重力から脱出するのが難しくなります)(図参照)。

本研究で新たに報告された月から揮発性元素が枯渇する物理化学メカニズムの概念図。上図:月の重力圏(青線;ヒル圏とも言う)の大きさは地球-月の距離に依存し、その距離が大きくなるほど月の重力圏は大きくなります。下図:ジャイアント・インパクトによって月が形成された直後、月表面はマグマオーシャンで覆われ、地球-月の距離は地球半径の3~6倍であったと考えられています(現在は約60倍)。このような特殊な初期環境において、マグマオーシャン表面から、揮発性の高い元素が選択的に蒸発し、月重力圏外に向かう蒸発大気の散逸流が形成され、月の重力圏外に脱出します。地球近傍では、地球の潮汐力によって月の重力圏が小さくなるため、月から蒸発大気の散逸が促進されます。月を脱出した散逸物は一時的に月と共に地球まわりを周ることになりますが、気体はガス抵抗*4(冷えて凝縮した微粒子は放射圧*5)によって系外に放出される(または地球に落下する)ことによって、月に再集積する可能性は低くなります。

本研究の新規性は、月のように惑星近傍に存在する衛星から揮発性元素が選択的に枯渇する物理化学メカニズム(大気散逸モデル)を発見したことです。また本研究により、形成直後の月の表面温度や地球からの距離に制約が加えられました。これらにより今後は、月を形成したジャイアント・インパクトの制約および太陽系太古の集積環境の深い理解に波及すると期待されます。

さらに、月が形成された直後の熱力学的な条件が制約されたことから、有人月探査計画における重要な揮発性物質となる“水”の起源と進化の理解に役立つとも考えられます。本研究では、マグマオーシャンにおける水の存在は考慮されていないので、今後は水を考慮した月の初期進化に関する研究が必要になると考えられます。また、我々のアポロサンプルにはバイアスがあるとも考えられます(現地点では、ある特定の地域からのサンプルに限られている)。月のさらなる理解とモデルの詳細な検証には、今後の月探査計画による多地点からのサンプルが必要です。

用語解説

  • *1 ジャイアント・インパクト:天体同士の巨大衝突現象。古典的に月は、太古の地球に火星サイズの天体が衝突して形成されたと考えられている。しかし現在では様々な説(様々な衝突天体のサイズと衝突速度の組み合わせ)が提唱されており、月を形成した巨大衝突の全容は明らかでない。
  • *2 マグマオーシャン:天体表面が溶けてマグマに覆われている状況。
  • *3 Bulk Silicate Earth (BSE):地球のマントル由来の岩石から推定された地球のケイ酸塩部分の平均化学組成。
  • *4 ガス抵抗:ガスと固体粒子が異なる速度で運動している状況で、固体粒子がガスに衝突することで、固体粒子の運動状態を変化させる抵抗力。
  • *5 放射圧:光子の運動量に起因する圧力。ここでは地球表面もマグマオーシャンである状況を考えているので、地球が放つ光による放射圧のことを意味している。

論文情報

雑誌名 Icarus
論文タイトル Tidal pull of the Earth strips the proto-Moon of its volatiles
DOI https://doi.org/10.1016/j.icarus.2021.114451
発行日 2021年4月3日
著者 Sébastien Charnoz (Université de Paris, Institut de Physique du Globe de Paris, CNRS), Paolo A. Sossi (Institute of Geochemistry and Petrology, ETH Zürich), Yueh-Ning Lee (Department of Earth Sciences, National Taiwan Normal University), Julien Siebert (Université de Paris, Institut de Physique du Globe de Paris, CNRS), Ryuki Hyodo (ISAS, JAXA), Laetitia Alliber (Université de Paris, Institut de Physique du Globe de Paris, CNRS), Francesco C. Pignatal (Université de Paris, Institut de Physique du Globe de Paris, CNRS), Maylis Landeau (Université de Paris, Institut de Physique du Globe de Paris, CNRS), Apurva V. Oza (Physikalisches Institut, Universität Bern), Frédéric Moynier (Université de Paris, Institut de Physique du Globe de Paris, CNRS)
ISAS or
JAXA所属者
HYODO Ryuki (太陽系科学研究系)

関連リンク

執筆者

兵頭 龍樹(HYODO Ryuki)
神戸大学 理学部卒業、神戸大学理学研究科 (パリ地球物理研究所(IPGP)) 博士課程修了。
東京工業大学・地球生命研究所(ELSI)日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2019年10月より国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所 国際トップヤングフェロー(ITYF)