No.238 |
ISASニュース 2001.1 No.238
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お屠蘇を飲み過ぎて戯言を稲 富 裕 光「一富士二鷹三なすび」。ご存じ,初夢で見ると縁起の良いものとされているものである。21世紀の幕開けにふさわしい縁起物は何か。根拠はさして無いが「一海二大地三うちゅう」か? 初夢特集ということで今まで実際に見た夢を思い出そうとしてはみたが,「宇宙と未来」に関する夢を見た記憶が無い。むしろ「宇宙」「未来」に関する先入観がSF小説や映画,何かの雑誌の記事によって植え付けられてしまっていることに改めて気づかされる。「地上は主として人々の居住空間,教育,芸術の場になり,地下に交通・通信網が張り巡らされ,オフィス,また好みに応じてマンションなどがやはり地下に建造される。地上の過剰な照明は規制され,地下では土壌が汚染されないように生物にとって有害な物質の回収・処理システムが完備される。20世紀後半に数多くの人々が時として時間つぶしに使っていたコンピュータと呼ばれる魔法の箱はもはや単なる小さな部品と化す。その部品同士の結合で構成された巨大な通信網とつながっている高速情報端末が各家庭のキッチンテーブルの隅に置かれ,お茶でもすすりながら他の地域,星で暮らしている自分の子や孫の3Dホログラフィー像と会話する」などと,私にとっての将来の宇宙,近未来に対するイメージというとせいぜいこの程度のものである。三文SF小説でも今更取り上げそうもない自分の貧困な想像力をとても情けなく感じる。 ところが,そう言っているお前は宇宙空間で生活したいのかと問われたら,弱い私はノーと答える。いわゆる宇宙飛行士は,強靱な精神・肉体を持ち,極限環境でも的確な判断・行動がとれると言う意味で私にとって尊敬できる人である。宇宙空間ではデブリの衝突などの危険性に晒され,低重力のために体はむくみ,それでも遠く離れた地球上の人々(彼らは空調の利いている部屋でコーヒーを飲みながらかも知れないが)の言うことを頼みに上も下も無いような空間をつき進むその真摯な姿勢は,英雄そして時にはある種の聖者にも見紛うばかりである。それに比べて,ジェットコースターにすら乗ったことが無く高所恐怖症である臆病な私は,地球外で生活をすることなぞ想像もできない。地球上のいろいろな地域へ行っては住み,様々な人々と生活を共にし,せいぜい一生に一度か二度,一日程度の宇宙観光旅行をする程度で充分だ。要は,地上に家族や友人と共に住める場所があり,うまいものを食べ,遊び,そして自分が納得できる仕事ができれば人生を楽しんでいるといってもよいだろう。そして足りることを知って,ほど良いところで皆さんとサヨナラをする。強いて言えばこれが私のバラ色の人生であろうか。ただ,問題はそのためにあと寿命がどれだけ必要かということである。まあ50年ぐらいか。いや何かと未練があるだろうから100年,200年,いっそ1000年でも足りないかも知れない。逆に,1000年も生きていたらいい加減何かにうんざりするかも知れない。いずれにせよ,美しい海と広大な大地,そして深遠なる宇宙の懐で元気に過ごしていきたいものである。 ただ,きれいな水,空気,そして光を子孫に残すことは我々の義務と私は考えている。遠い未来社会であっても地球全域にわたり,昼は澄んだ青空や流れる雲が,夜は深い闇に輝く星がはっきりと見えるようになって欲しい。そのためにはどうしたらよいか? 現在急務とされながら具体化が遅々として進んでいない地球規模での環境問題の改善に,宇宙利用は何らかの形で寄与出来よう。将来,数多くの人々が宇宙空間から地球全体を実際に眺めることにより我々が住んでいる星がどのような状態であるのかを目の当たりにすることは,問題意識を高め,また維持する意味でも大切なことである。20世紀末までは宇宙開発と言うとややもすると高価なガラクタを地球周回軌道に放り込んでいる(地球に優しくない?)というイメージが拭い切れなかったが,その一方で高解像度カメラをはじめとする様々なセンサーを搭載した人工衛星が例えば気象予測に大いに活躍しているのも周知の事実である。一つの方法として,地球規模の環境変化を宇宙の幾つかの観測点からリアルタイムで監視し,そのデータ群を地上で速やかに分析し具体的に対処することが地球環境維持につながるであろう。宇宙開発がその実現に欠かせなくなるという日が遠くない未来に訪れることを願う。 つれづれに戯れ言を書き連ねてきたが,夢の話は支離滅裂が当たり前,細かいところは気になさらぬがよろしい。21世紀が良い世紀となりますよう。 (いなとみ・ひろみつ)
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