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科学衛星

7.打上げオペレーション

「あすか」は予定より8日遅れて、1993年2月20日にM-3SIIロケット7号機によって打ち上げられました。

打上げロケットの製作は、打上げの2年前、1991年にメーカーの工場で開始されました。技術的完成度が高く、いくつかの工学的試験が行われたほかは、本質的な改良は必要とされませんでした。その工学的試験とは、ファイバー・オプティカル・ジャイロを使った慣性誘導システムの飛翔試験や、スピン安定の第3段の後部につけたマークをテレビカメラでモニターすることによるこの段の姿勢決定などです。

打上げ日は1993年2月12日と決定されました。現地でのロケットの組立オペレーションが1992年12月に行われました。衛星が1月21日に鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)に運び込まれ、ロケットに組み付けられて、全システムの最終チェックが始まり、無事終了しました。この段階で、鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)には321人の人が作業をしていました。宇宙科学研究所と他大学(外国人3人を含む)から116人、さまざまな企業から205人です。

2月11日の夕方、スケジュール通り、噴射液である過塩素酸ナトリウムの55%溶液が第1、2段のLITVC(2次噴射推力方向制御装置)に注液されました。目視により第2段の噴射液にわずかな漏れが検出され、ソレノイド・バルブのO(オー)リングから浸みだしていることが分かりました。この時にはチームはどちらかと言えば楽観的で、噴射圧の調整で解決できると予想していました。しかしそれは甘い見方だったのです。

このユニットそのものを取り替えるのには、当初は数週間かかると推定されており、それでは、すでに調整の済んでいるまわりのシステムに悪影響を与えると考えられました。漏れの量も少ないので、飛翔には支障がないとされ、当面は飛翔にとって困るほど漏れが増加するかどうかを判断することが求められていました。しかも飛翔中におけるバルブのオンオフのオペレーションは、そのOリングの位置を、漏れを防ぐ方向に動かすだろうことも分かっていました。しかし夜を撤した議論によって、このことをスペアのユニットを使って確認するために、打上げ日を2日延期することが決められました。実機のバルブを直接オンオフすることはできません。なぜならそれは脆弱な材料でできている第1段前部に噴射液を注ぐことになるからです。

わざと損傷させたOリングを使って日産自動車の工場で行われたテストでは、LITVC装置が一度起動すれば、Oリングが半分失われても、漏れはなくなることが判明しました。この段階で、漏れの原因は、ロケット組立の前に行われたLITVCの性能試験にも使用されたユニットの噴射液と何らかの物理化学的に反応して、Oリングが収縮したことだと推定されました。実は従来からLITVCに使われていたフレオン113がオゾン層を破壊する可能性があるというので、このフライトから「オゾン代替物」として過塩素酸ナトリウムが用いられたのです。ということは、8つの独立したユニットはすべてOリングが収縮しているはずです。製作とテストのデータを追跡した結果、Oリングは、噴射液と接触して膨らむと、それが乾くにつれて小さくなっていき、ついにはもとの大きさよりも縮んでしまうことが明らかになりました。

そしてこの問題が決着しようとしていた矢先に、バルブの駆動回路の電気的絶縁が悪化していることが判明しました。漏れ出た噴射液は弱い電解質なので、これがしみ込んだものでしょう。これは副次的効果を持つと考えられました。現地での実験を行った結果、特にそれがバッテリーのパワー低下を招くと、悲惨なことになることが予想されました。

打上げチームは、手順に工夫を凝らし、運用を何とか簡素化してユニットの取り替えに要する時間を短縮する計画を作成しました。最後に、すべてのユニットを取り替えることに決定し、打上げを2月20日に行うことが決められました。調整済みのユニットが鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)に輸送され、ロケットに装着されたのは、打上げの2日前でした。

打上げは完璧でした。