No.300e
2006.3 号外

ISASニュース 2006.3 号外 No.300e 


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職場に感謝 

統合追跡ネットワーク技術部臼田宇宙空間観測所 山 田 三 男


臼田宇宙空間観測所64mアンテナの前で

 今でも私の心に残っているのは、L型4段ロケット打上げ実験です。失敗に失敗を重ね、やっとの思いで人工衛星となった「おおすみ」が地球を回って内之浦に戻ってきたときのことでした。

 当時、私はロケット搭載用タイマの設計調整をしていましたが、このような素晴らしい仕事に参加させていただき“日本初の人工衛星”誕生に当たり、少しでもかかわりを持つことができたということに、今でも感謝しています。その後、内之浦の観測所の地上設備(GTR−1)でお世話になりました。

 この装置は昭和36年、当時東京大学生産技術研究所が秋田県道川でのロケット追跡用に作った、日本最初のロケット追尾用地上追跡レーダ装置だそうです。レーダ装置は高周波部、送受信部、データ処理表示部と、興味深い電子回路をふんだんに取り入れた電波電子技術の傑作品と言っても過言ではありません。

 GTR−1での最初の仕事は、受信機の手前に置かれている1673MHzのBPF特性の測定。このBPFの帯域幅は4MHzと非常に狭く、当時安定度の悪いSGや共振型の周波数計を駆使し、苦労してデータを取得した思いがあります。

 そのほかにもレーダ同期伝送ユニット、D/A変換ユニット、PLL回路、カウンター、デジタル比較器、ログアンプ等々、自分で回路を製作、温度特性や信号の安定度などを測定、幅広く勉強をさせていただきました。

 特にデータ処理系は、XYプロッタで記録していたものをコンピュータ(PC)処理に置き換えたことです。CPUはZ80(8ビット)を使用し、データバスに情報(AZ、EL、距離)を取り込むためのインターフェースボードおよびプログラムソフトを製作しました。当時のバイナリー情報はDTL(0〜15V)のためPCで取り込める+5V系に変換。レーダからの情報を座標変換(地心直交座標系)し、レーダデータとして取り出しました。

 このレーダ処理システムを実際の打上げ実験で検証、CRTにその軌跡が表示されたとき、“人に頼らずやればできるのだ”と仕事に対する自信と満足感が得られたことは、今でも忘れられません。

 その後、直径64mのパラボラアンテナが長野県佐久市(旧臼田町)に設置され、深宇宙局として新たな仕事が始まりました。システム雑音23°K(S帯)でハレー彗星探査、時刻精度1億年に1秒誤差という高安定度でのボイジャー海王星観測、月探査、「はるか」を含めたVLBI実験などと、さまざまな観測実験に参加させていただきました。現在3億km彼方から送られてくる「はやぶさ」からの電波も、確実に受信しています。

 このような最新技術の整った環境の中で仕事をさせていただいた宇宙科学研究本部(ISAS)に、心から感謝致します。本当に長いこと、ありがとうございました。

(やまだ・みつお)


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