No.300e
2006.3 号外

ISASニュース 2006.3 号外 No.300e 


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帰ってこい、はやぶさ 

固体惑星科学研究系 藤 原 顯  


小天体会議に出席したとき(2002年、ベルリン)

 この原稿を書いているときは、まだ「はやぶさ」の出した科学成果の取りまとめ論文の作成などで非常に慌ただしく、定年を静かに迎えるといった心境ではとてもありません。でもそろそろ片付けをしなくては、という気持ちも一方でひしひしと感じています。

 私は宇宙研に移る前までずっと京都大学物理教室宇宙線研究室(長谷川博一先生)に籍を置き、初めは惑星間ダストの研究を、1970年代後半は航空工学教室(神元五郎先生)に出入りしたりもして高速度衝突破壊の実験を行いながら、小惑星の衝突進化を調べる研究を行っていました。宇宙研に移る前ごろには、ミッションにも少しずつかかわりかけていました。宇宙研に移ってきたのは1992年の10月ですので、こちらで13年半を過ごしたことになります。この間、MUSES−C(はやぶさ)にどっぷりとつかったことになります。私がここに移る前の年にはNASAのGalileo探査機が木星に行く途上で、初めて小惑星Gaspraの近接画像を撮っています。また移って1年後には、さらにIdaという小惑星の画像を撮っています。こうしてみると、私が宇宙研に移ってきたのは、まさに小惑星の探査による研究が本格化するときであったといえます。

 こちらに移って、右も左も分からないまま、すぐに上杉、川口両先生と米国出張に行ったことを思い出します。それは、惑星探査計画案がNASAの公募ベースでいろいろなグループから提案され、それを評価するという会議でした。あらためて今そのときの資料を調べてみると、そこで出されていたミッション提案は75件もありました。これだけの惑星探査ミッションが提案されるのかと、米国の惑星探査を支える研究者層の厚さと、科学者のミッション参加への敷居の低さを知り、日本の惑星探査はこれに対抗していかねばならないのかと思いました。思えばあれが、NEAR、DEEP IMPACT、STARDUSTなど、現在の惑星科学業界をにぎわせている、小・安・短の惑星探査をうたい文句にしたNASA Discovery計画のスタートでした。

 その後すぐだったと思いますが、上杉、川口、水谷先生、それに私も5階の会議室に集まり、「日米協力で進めてきた彗星ダストサンプルリターン(今のSTARDUST計画)もNASAに取られたし……(実際、私もSTAR−DUSTのようなミッションの準備のために低密度捕獲材で超高速度の物体を捕まえる基礎実験を宇宙研へ移る前ごろから始めていました)、我々としてはもう小惑星サンプルリターンしかないね」。これがMUSES−C計画の発端でした。今から思うに、よくこんな計画が認められ、始まったものです。それからは、探査未経験の理学系の固体惑星科学研究者たちにとっては、何から何まで新しいことばかりで、すさまじい体験でした。

 そして昨年、「はやぶさ」によって、ついに実際に小惑星イトカワの姿を目の当たりにしたあのときの興奮は、一生忘れられないでしょう。今、我々自らの手で小惑星の探査結果を論文にまとめつつあるというのが、何だか信じられないような感じです。今回のイトカワ探査の結果は、私がこれまで京都時代から通して行ってきた衝突による小惑星進化の研究の成果に非常に密接につながるようなものであることが次第に分かり、私自身は、あらためて静かな興奮を味わっています。

 「はやぶさ」は地球帰還まではまだ苦難が予想されますが、何とか地球に帰ってきてほしいものです。先日、あるジャーナリストの方が来られて、「こんなムチャクチャなミッションはもうないですね。今ではとてもこんな計画は走らせられないですね」。いやいや、どうか、これからもチャレンジングなミッションをどんどん進めていけるような、良い雰囲気が続くことを願っています。そして次(の次?)は、前人未到の彗星サンプルリターンにチャレンジしてほしいと思います。「次はもう彗星サンプルリターンしかないね」。これは本気です。

 本部内はもちろん外部の方々も含めて、素晴らしい皆さまに支えられて過ごせたことは何物にも替えられません。本当に皆さま方にはお世話になり、ありがとうございました。

(ふじわら・あきら)


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