No.300e |
ISASニュース 2006.3 号外 No.300e |
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おかげさま鹿児島宇宙センター内之浦宇宙空間観測所 榮 樂 正 光
第二次世界大戦敗戦年度の最終出生、昭和21年4月1日生まれ。その通りの4月馬鹿と、これまで長い間お付き合いをいただきました皆さま、ありがとうございました。本人は、他人のことを気にすることなくマイペースを貫き、これまでの40年6ヶ月の間に多大なご迷惑をお掛け致しましたことを深くおわび申し上げます。 おかげさまで、馬鹿の一つ覚えを貫け、光学班、シュミットカメラと、それしか取りえのない人生でした。その間、自分なりに仕事の楽しみを見いだしながら、少ない予算の中から光学観測班には、森所長、秋葉所長のご援助で昭和39年度に納入されたサーボ駆動架台のフィルム撮影機の更新、パソコンを利用したスレーブ追跡法が確立できました。 特に光学追跡架台については、研究室の延長上で少ない予算を活用し、製作以来40年間現役で使用できたことを、研究所の最大の長所と誇りに思っています。その裏には共同利用の先生方、メーカーの技術者の卓越した頭脳、技術力があり、それによって、このような老朽化した機材でも十分使えることを実証できました。 次に、シュミットカメラは斉藤先生のご尽力で昭和46年に製作され、人工衛星追跡用カメラとしては初めての4軸架台が採用されました。極軸が備えられたために、天文現象の撮影には威力を発揮できるものと期待されました。 優秀な光学系に対し、数値制御装置の故障多発に泣かされ、性能を発揮できずにいたところ、ハレー彗星の回帰によってチャンス到来、改修計画が上がってきました。 担当者として制御系、重要な光学系、特に主焦点面の改修をお願いしましたが、予算の関係で断念。その結果、ハレー彗星観測中にフィルム切断事故が発生、その後の観測断念の危機に見舞われました。急きょ、主鏡(重量160kg)、平衡支持装置を含めた総重量数百kgの部分を取り外し、それまでモノクロフィルムの厚さしかなかったトンネル部分をカラーフィルムの厚さに変更し、周辺部の多少のピンぼけを辛抱して観測を完遂しました。 その後は林先生のご援助で、懸案であった主焦点面の改修が年度を重ねて実行され、現在に至っています。この主焦点面に関する部分の改修は、制御系の改修時に日本光学が撤退したためにお願いできず、当方のアイデアを具現化し、現在のフィルム送り機構が完成しています。日本光学製作時のモノクロフィルムの焦点と比較すると、素人工作ですから周辺部に若干のピンぼけが残ったのは残念ですが、使用には十分耐えられる状況です。 「おおすみ」の撮影は2度成功しましたが、打上げ直後のオーストラリア・ウーメラ観測所の映像が目に焼き付いていて何度も挑戦しました。このシュミットカメラでは、「ISASニュース」の表紙を飾った映像のみ取得できました。 時代ですからデジタルといえば何でもいいと思われがちですが、フィルムのようなアナログ財産は大変貴重な存在になります。時代の変換期にアナログ人間はお暇をいただくことになり、実にタイムリーな人生だったと喜んでいます。 これまでご指導、ご援助、お付き合いいただきました皆さまに、心から、おかげさまでありがとうございましたと感謝申し上げます。合掌 (えいらく・まさみつ) |
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