No.300e
2006.3 号外

ISASニュース 2006.3 号外 No.300e 


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流体力学と計算機 

宇宙環境利用科学研究系 桑 原 邦 郎  



無重力中で立方体形状の液滴が球に 変形していく過程のシミュレーション
 東大に入って基礎科学科に進学し、自分の専門を何にしようかと迷っていた時期に、今井功先生の流体力学の講義を聴きました。先生の人柄にほれて、大学院では今井先生のもとで勉強しようという気になってしまいました。当時、今井功先生は宇宙研の教授を併任されていたと思います。

 その後、私が身体を壊して入院し、退院した後も体調が完全に回復しないうちに大学院が始まりました。学生生活には戻りましたが、ちょうどそのころ今井先生がアメリカに長期出張されており、身体の調子も完全でなかったのを理由に、修士1年のときはダラダラと過ごしておりました。先生が帰国され、そろそろ修士論文を書かなければというところで、ナビエ・ストークス方程式について摂動展開で近似解を求めるというテーマを頂きました。それは時間も足りなかったので、自分でも満足できるものではありませんでした。最後に結果を図で描かなければならない時期に、東大の大型計算機センターができ、求めた解のグラフを描くために初めてFORTRANを使ってみました。それが、計算機との最初の出会いでした。

 摂動展開という手順の決まった面倒な計算を手計算により解析的に行うというのが通常の手法だったので、その定石通りにやったのですが、これなら計算機でもできると思い、プログラミングを始めてみました。それがどうにか完成し、その摂動展開を計算機で実行させるというのが、私の最初の公表した仕事となりました。

 東大の大型計算機センターのコンピューターはユーザーが多過ぎ、ちょっとしたデバッグの計算でも混んでいて、待ち時間が何日もかかるという状態でした。そのころ宇宙研にも東大とほとんど同じレベルのコンピューターが導入されたので、橋本英典先生の研究室に出入りさせていただき、今井先生になりすまして使わせていただいていたのでした。計算センターの方々からは、今井先生はずいぶん若い先生だと思われていたようです。あるとき、気付かれましたが……。当時はあまり利用者はなく、好き放題に使えたと思います。その後、大島耕一先生のところで学生の研究を見るように頼まれて、大島研究室にも顔を出すようになりました。それからチャンスを得て、NASAに行くことになりました。

 NASA滞在2年目の延長手続きを始めたころ、宇宙研が東大から独立することが決まり、NASAから呼び戻されて新しい宇宙研に入ることになりました。辞めて帰国する直前、NASAには当時唯一のスーパーコンピューターであるCRAY1が導入されることになったのですが、私は見るだけで、実際に使うことなく帰ってきてしまいました。東大にも日本製のスーパーコンピューターが導入されたのですが、その直後宇宙研に移ってきたので、それも自由に使うことができませんでした。自分で計算機を自由に使える環境が欲しいと思いました。

 そのころの宇宙研はまだ大学としての自由さがありましたが、年を経るごとにその自由さが減っていっている気がします。これは宇宙研だけでなく、大学全体がそうなってきているように思えます。さびしいことです。

(くわはら・くにお)


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