No.276e
2004.3 号外

ISASニュース 2004.3 号外 No.276e 


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+ 宇宙研での思い出
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宇宙研での思い出 

岩 田 冨 美  


「あすか」打上げでKSC(鹿児島宇宙空間観測所)へ行ったとき

 とうとう,このようなものを書くことになってしまいました。まさか,ここまで勤めることになろうとは,夢にも思っていませんでした。最初,神戸研究室へアルバイトで入ったときは,2〜3年お世話になるかなと思っていたのですが,居心地が良かったのか,性に合ったのか,今日に至るまで居続けてしまいました。

 その間,研究所の名称も,宇宙航空研究所,宇宙科学研究所,そして最後は宇宙航空研究開発機構と変わり,住所も駒場から相模原へと変わりました。東京に住んでいる者にとってはあまりうれしくない移転でした。おかげで長距離通勤を経験し,乗換駅で走ったり,急行を1本逃すと家に帰り着くのに30分は違うということも知りました。それでも,他人に言わせると,逆方向ですいている電車に乗るのだから幸せなのだとか。まあ,見方を変えるとそうなるのでしょう……。



 宇宙研での思い出となると,いろいろ思い浮かびますが,特に海外との連絡方法が印象的です。もちろん,研究所にいたおかげで,かなり最先端のものに触れるチャンスがあったのでしょう。国際電話は昔からある通信方法ですが,私が小田研究室に移動したときには,テープ式のテレックスが主流でした。テレックスはテープに穴を開けて,その開き方でアルファベットが分かる仕組みになっています。慣れるまでに結構手こずりましたが,最終的には,アルファベットと穴の開き方の組み合わせを覚えました。

 そのうちワープロスタイルになり,ディスプレイを見ればよいようになり,変更なども簡単にできるようになりました。次に覚えたのが,ノットパッドというものでした。ノットパッドは, その後に続いて覚えたNASAmailもそうでしたが,アメリカとの連絡に使っていました。このノットパッドもなかなか大変で,満田先生にやりやすいようにいろいろ調整してもらった覚えがあります。NASAmailはもう少し楽で,今みんなで使っているe-mailの前身のような気がします。ちょうど「ようこう」が打ち上がったころで,外国機関の担当者の運用当番などへの連絡が,これで送られてきていました。NASAmailにはウィルスの心配などはなく,今考えると本当に平和なときでした。

 もちろん,これと並行してファックスもありました。ファックス,テレックスは相手側の回線の都合で,なかなかうまく送れないという悲しい思いもしました。当時は「どうぞうまくいきますように」と,祈るような思いで送信したものです。今は,ほとんどの国に違和感なく瞬時に送れるようになりましたし,e-mailが普及してきて,あまりそのような思いをせずに済むようになりましたが,うまくいったときの喜びのようなものは,その分薄くなりました。何でも苦労をした方が,印象としては強く残るのでしょう。もっとも,今はウィルス関係で戦々恐々ですが。



 振り返ってみるに,私はたくさんの親切な人に囲まれて,今日まで働いてこられたのだと思います。そのいろんな人たちの支えがあったからこそと思うと,感謝の気持ちでいっぱいになります。「人情,紙のごとし」と言われる昨今,このような思いで職場を離れられるのは幸せ者なのでしょう。

 研究所も,名前が変わり,住所が変わると,それにつれて仕事上の手順などにもいろいろ変化が生じます。もちろん慣れもあるのでしょうが,どちらかというと働きづらくなったように思います。決して人が冷たくなったというのではなく,規則が固くなったというか,融通が利かなくなったというか。研究というものは,野放図は良くありませんが,やはり研究を発展させていくには,その場,その場の対処の仕方がとても大切だと切に思います。今後皆さんによって,より楽しく働ける環境が作られることを祈っております。

(いわた・ふみ システム運用部情報処理グループ) 



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