No.303 |
ISASニュース 2006.6 No.303
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武蔵国・国分寺武蔵国分寺住人 由 井 久 夫我が街国分寺は、古き良き歴史を感じることができる一方、現代においては超高速鉄道・電子応用機器の最先端技術を世界に発信し続ける街、新幹線ひかり号を生み出した鉄道総合技術研究所のある街でもあります。この辺りはその昔、平兵衛新田と呼ばれていましたが、ひかり号誕生により町名が光町に変更されました。毎年10月には、地域と鉄道総研が中心となり「平兵衛まつり」が行われ、鉄道総研内を自由に見ることができます。 また武蔵国・国分寺跡は現在も遺跡調査が各所で行われていますが、このお寺には、ほかのお寺にはない七重の塔があったと伝えられています。その塔は昔から、宇宙とのつながりを意味しているといわれていました。 このたびJAXA宇宙科学研究本部にご協力をいただき、日本の宇宙開発発祥の地に記念碑建立ができましたことを、心よりお礼申し上げます。これからも宇宙科学のPRを有志の皆さんと続けていきたいと考えております。 今回の事業を顧みますと、いろいろ紆余曲折がありました。長年有志による努力はしてまいりましたが、いまひとつ盛り上がりに欠けておりましたところ、一本の電話で状況が好転しました。相手は行政の役職の方で、個人的な集まりに参加した折、早稲田実業学校関係者から国分寺の有志と一緒に記念碑を作れないかと相談を持ち掛けられたとのこと。早々に2005年6月23日、国分寺市役所内において関係者が打ち合わせを行い、お互いの目的が一つであることが確認されました。7月14日に国分寺の諸団体・早稲田実業学校の関係者に参加していただき、それまでの経緯をお話しして協力を依頼。その後も数回の準備委員会を経て、9月20日に第1回「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰会を開催し、10回の会議ならびに募金活動を行ってきました。それと並行して、最良の記念碑を作るべく石材屋さんとも数十回の打ち合わせをし、現在の素晴らしい記念碑の完成を見ました。また、第1回顕彰会開催時よりJAXA宇宙科学研究本部の参加をいただき、問題解決にご協力をいただきました。今後は有志の皆さんと力を合わせ、タイムカプセルならびに歴史の継承のため、新たな会の設立に尽力してまいりたいと考えております。 ここで話を少し変えさせていただきますが、私が子供のころ、早稲田実業学校の場所を「ナンブジュウ」、東京経済大学の場所を「オオクラ」と呼んでいました。『東京経済大学の100年』によると、戦前はナンブジュウもオオクラも大倉財閥系の工場で、中央工業の所有地と記載されております。東京経済大学の前身は大倉経済専門学校で、1946年6月に赤坂葵町から国分寺に移転し、1949年2月に東京経済大学に改名し現在に至っております。今年から東京経済大学の「葵祭」(11月3日〜5日)に宇宙展の開催をすべく、JAXA宇宙科学研究本部対外協力室と打ち合わせを行っております。 国分寺で初めてペンシルロケット試射をした1955年は、私自身も新しくできた第二中学校に入学したとても思い出深い年です。そこから50年目に当たる昨年、その節目に立ち会えたことは、私にとって幸運でした。今後も歴史・産業を活かし、仲間の皆さんとともに街の活性化を推進していきたいと思っています。 今回の事業で国分寺の中にさわやかな風が起こり、関係機関と連携を取り、毎年4月吉日を「宇宙科学創造の日」として皆さんで集まり語らい、将来国分寺に宇宙関連施設ができるよう夢見つつ、まず来年の4月12日に向かって新たな計画を進めていきます。
(よしい・ひさお) |
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