2006年5月1日で超新星残骸SN1006が爆発してからちょうど1000年になります。この記録は日本の古文書『明月記』に残されています。これは世界に誇っていいことでしょう。歴史上最も明るく輝いたとされるSN1006の1000歳の誕生日を記念して、X線天文衛星「すざく」で観測した、この超新星残骸の新たな姿を紹介しましょう。
藤原定家(1162−1241)は56年間にわたり、『明月記』にその時代のさまざまな出来事を書き留めました。旧暦の寛喜2年(1230年)10月末、客星(おそらく彗星)が現れました。客星の出現は吉凶の前兆です。数年前から洪水や飢饉など悪い事件が続きました。定家は客星出現と吉凶に関心を持ち、陰陽師の安倍泰俊(安倍晴明の6代目の孫)に過去の記録を調べさせました。その報告をもとに「客星古現例」を寛喜2年11月8日に記したのです(冷泉家時雨亭文庫特別展「国宝明月記」パンフレットより要約)。
その一節に「一條院 寛弘三年四月二日 葵酉 夜以降 騎官中 有大客星 如螢惑」とあります。「西暦1006年5月1日、騎官(現在のおおかみ座付近)の方向に明るい客星が現れ、螢惑(火星)のようだった」という意味です。現在この方向に若い超新星残骸、SN1006が発見されています。
「客星古現例」には、かに星雲や3C58などの超新星、そのほか新星、彗星など、さまざまな客星の記述がありますが、「大客星」という称号を獲得したのはSN1006だけです。中国(宋)の記録から判断して、人類が記録した最も明るい超新星だったようです。その大客星が「螢惑(火星)のごとし」ではいささか迫力に欠けますね。客星のかに星雲ですら、「歳星(木星)のごとし」ですから。
SN1006は南天にあり、京都では地平線から15度くらいしか上がりません。1000年前では若干良くなりますが、それでも5月1日には深夜に南中、高度は20度くらいです。だから日没後しばらくして、地平低くに現れたSN1006はかなり赤く見えたことでしょう。やや上空では、さそり座のアンタレスが赤く輝いていたはずです。さらに当時、近くには赤い惑星、火星もいました。赤い鳥(朱雀)は南の池沼にあって都を護るといいます。それが眠りに入るころ、南天低くには三つの星が赤さを競っていたのです。SN1006を火星に比喩したのもうなずけます。
X線天文衛星「あすか」は、SN1006の衝撃波面から、高エネルギー電子が放射するシンクロトロンX線を発見しました。米国の「チャンドラ」衛星は、異常に細いフィラメント内で極めて効率よく電子加速が行われていることを明らかにしました。SN1006は最も明るく輝いて誕生したのみでなく、宇宙線加速の研究でも主役を張る大スターに成長したのです。