No.276
2004.3

<宇宙科学最前線>

ISASニュース 2004.3 No.276 


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宇宙大航海時代への予感
〜小惑星探査機「はやぶさ」とイオンエンジン技術〜 

宇宙輸送工学研究系 國 中 均  


「はやぶさ」順調に航行中

 漆黒の空間につの紫電の光を灯(とも)し「はやぶさ」は針路を地球にとり,航行を続けていることでしょう。管制室のコンソールに流れる数値だけでは飽き足らず,飛んで行って,イオンエンジンのグリッドの穴はどうなっているのかとのぞき込み,温度センサの貼っていないあそこの温度は大丈夫かと手をかざしたい衝動に駆られます。

 2003年5月9日MUSES-Cを搭載したM-Vロケット5号機は,ごう音とともに青空へ消えてゆきました。地球が1周して鹿児島局で再び電波をとらえたときには,「はやぶさ」という新しい名前が付いていました。15年間かけて研究開発したマイクロ波放電式イオンエンジンμ-10(ミューテン)が,やっと“宇宙生まれ(space-borne)”となった瞬間です。5月末から慎重に1台ずつプラズマ点火,イオン加速を行いました。通信波のドップラーシフトから,イオンエンジンによって「はやぶさ」が加速され速度が変化するさまを実時間で確認できたことは,望外の喜びでした。試験調整が終了して,7月からは地球からの実時間監視なしで24時間連続で加速を続ける巡航運転が始まりました。年末年始の休止期間を挟み,2004年2月末には作動積算時間1万時間・ユニットを達成しました。

 「はやぶさ」は,2004年5月ごろに地球のそばをかすめる軌道を確保したことになります。このとき,これまでイオンエンジンによって加速してためた速度ベクトルを,目的天体である小惑星“ITOKAWA”の方向へねじ曲げます。その後も加速を続け,2005年秋ITOKAWAに到着する計画です。

図1 小惑星探査機「はやぶさ」の深宇宙航行(想像図)

より遠くへ飛翔するために

 宇宙で推進するには,質量を放出(ジェット噴射)したその反動を用います。より遠くに出掛けるには,より強いジェットが必要です。ジェットの強さは,放出質量(推進剤量)と噴射速度の積です。宇宙は真空で,吸い込むものがないので,推進剤はあらかじめすべてを持参しなければなりません。しかし,ほかの荷物を降ろさない限り,もうこれ以上は宇宙機に詰め込むことはできません。

 そこで推進剤の量を増やす代わりに,速いジェットを作るのです。これまでのヒドラジン・スラスタの噴射速度は秒速3kmでしたが,イオンエンジンはその10倍の秒速30kmを発生できます。このように噴射速度の速いことを「高比推力」といいます。軽い機体に高比推力エンジンが搭載されれば,ますます遠くへ飛翔することができます。

図2 宇宙研が運用した深宇宙機とM-Vロケットの軌道変換能力と燃料重量占有率

 図2には,これまで宇宙科学研究本部(旧宇宙科学研究所)が打ち上げた人工衛星やロケットの燃料(推進剤)重量占有率と軌道変換能力を示します。「はやぶさ」以前の宇宙機システムはいずれもヒドラジン・スラスタを用いていましたから,燃料は宇宙機全体の重量の50%に達するにもかかわらず,軌道変換能力は1km/s前後でした。ところがイオンエンジンを搭載した「はやぶさ」では,推進剤はたった13%なのに,4km/sも発生できるのです。この数値は,打上げロケット1ステージ分の軌道変換能力を凌駕(りょうが)していることもお分かりでしょう。ロケットによって宇宙に放り出された後は惰性で慣性飛行するこれまでの人工衛星とは異なり,「はやぶさ」は自ら軌道変換して目的の方向に航行することのできる「宇宙船」なのです。その主推進・原動力こそがマイクロ波放電式イオンエンジンμシリーズであり,フォン・ブラウン先生のお言葉をお借りするなら「深宇宙への橋頭堡(きょうとうほ,foothold in deep space)」といえます。

 イオンエンジンは,推進剤キセノンを放電によってイオン化し,1.5kVにバイアスした電極でこのイオンを加速します。その後,別に作った電子と混ぜて高速プラズマビームとして噴射します。このときプラズマとなったキセノンは,紫色の輝きを見せます。私たちの作った新しい電気推進「マイクロ波放電式イオンエンジン」では,それまで耐久性に限界のあった放電電極を完全撤廃することに成功しました。

 ここで名前の由来をお話ししましょう。「μ10」エンジンの名称は,マイクロ(μ)波駆動されるという意味と,ミュー・ロケットの最上段高比推力モーターとしての意義を,数値は有効直径を表します。

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見たことのない新しい世界を切り開く

 大型ロケットに頼らずとも宇宙機搭載推進系を高比推力にすることにより,中型ロケットM-Vで地球の周りの無限に続く回廊から脱出して,惑星空間を往来する深宇宙航行が可能になるのです。より遠くへ,見たことのない新しい世界を切り開く「宇宙大航海」へと思いをいざないます。

 そこで,地球の大航海時代(15〜16世紀)について少し勉強してみました。スペイン・ポルトガルは香辛料貿易を求め,それまでの陸路ではない新ルート,海路の開拓を目指します。それを支えたのは船舶技術です。それまでは,たくさんの櫂(かい)で漕ぐガレー船が主流でした。多くの人力が必要なため,寄港なしの長期航海はできません。また,櫂を水面に届かせるために吃水(きっすい)が低く,耐波性がありません。外洋航海を可能にしたのは,全装帆ガレオン船です。海賊船に見られるような船尾にかけて段階的に高くなる形式です。3本4本のマストを立て,追い風を受ける横帆と,風上に帆走するための三角帆(ラテンセイル)を装備しています。マストにより背丈が高くなる分の船体のバランスをとるために,砂や石が船底に入れられました。

 造船技術だけでなく,航海技術も進歩しました。北を指し示す羅針盤(コンパス)に,北極星の仰角から緯度を測るアストロラーベ,船から投げ入れたひも付き木片(ハンドログ)の繰り出し長さから船速を計り,さらに海図(ポルトラーノ)が整備されました。これらにより陸地を確認しながらの近海航法に離別し,外洋へと乗り出すことができたのです。

 それとて,決して安穏とした航海ではありませんでした。海難事故は大敵ですが,それよりも壊血病によってたくさんの船員が死にました。170人でインド航路開拓(1498年)に出発したヴァスコ・ダ・ガマの一行の帰還者は44人,世界一周(1519年)を成し遂げたマゼラン一行250人中,帰還したのはたったの18人だったそうです。そんな危険があろうとも,コロンブスはポルトガル・イギリス・フランスへと自己の計画を持ち込み,とうとうスペイン女王を説き伏せて新大陸への航海(1492年)を達成しました。


μ20,そしてμ10HIspエンジンへ

 さて,宇宙航行も彼らの航海に相通じるものがあります。宇宙船は宇宙の極低温や強烈な放射線に耐えられる強じんなシステムを備え,太陽と星の方角から自分の姿勢を知り,円盤を高速回転させ姿勢を保ち,通信電波の波数を数えて地球からの距離と方向を割り出し,風の代わりに光を集めます。これを電気に変え,または直接運動量に変換し推進力とします。

 受ける光の量が宇宙航海の質を決める,と言っても過言ではありません。大きな推力を得るためにはたくさんの電力が必要です。そのためには,広い面積でたくさんの光を集めなければなりません。重いパネル構造が使えないほど大きな太陽電池ならば,薄い膜面を使いましょう。そう,まさに帆(セイル)のようです。発生した電力を推力に変換するのは電気推進です(私の専門分野ですから特に強調して書かせてください)。「はやぶさ」よりも迅速に往復ミッションを達成するとか複数の目的地を巡るなら,推力を大きくしましょう。μ10より大型で現在研究開発中のμ20が最適です。もっと遠くの深い宇宙航行となれば,推進剤消費を増やさないために,さらに速くて強いジェットが必要です。高い加速電圧でイオン噴射することになるでしょう。「はやぶさ」よりも2倍の推進剤を詰め込んで,3倍の噴射速度のμ10HIspエンジンを使えば,軌道変換能力は20km/sを超えます。これは打上げロケットの全体能力に匹敵します。これこそ「宇宙船」そのものです。

 そしてそれを操作するのは,地球にいるわれわれ船員です。直接事故や病気で命を落とす心配はありませんが,慢性的人員不足と昼夜を問わない激務で生命の危険を感じるのは,大航海時代とさほど変わりません(help!)。

図3 μイオンエンジンファミリー(μ10,μ20,μ10HIsp)と世界のイオンエンジンの推力と消費電力の分布

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漆黒の大海原へ

 宇宙大航海への技術はそろっています。科学探査という目的を達成するために,「宇宙船」を仕立てて漆黒の大海原へ乗り出そうではありませんか

 技術講演会,シンポジウム,μ20研究成果報告書,「はやぶさ」宇宙運用報告書,技術提案書,次期宇宙計画提案書,μ10HIsp研究計画書,次年度研究提案等々に加え,このISASニュースの原稿と,日々締め切りに追い立てられる今日このごろは,まさに新大陸への探検を憧憬(どうけい)し,スポンサー巡りに明け暮れたコロンブスの日々と重なるように思われてなりません。

(くになか・ひとし) 


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