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No.276 |
宇宙教育の現場から 宇宙学校の一断面ISASニュース 2004.3 No.276 |
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宇宙科学研究本部では,子どもたち向けの催しをいくつか実行しています。例えば,天文学・太陽系・宇宙技術という3時限に分けて,朝から晩まで子どもたちから質問を受けて答え続ける「宇宙学校」は,非常に人気のあるイベントです。講師になった研究者は,いわゆる「宇宙おたく」の子どもたちの独壇場にならないように,質問に対しては一つ一つ丁寧に,原理的なことにさかのぼって答えていきます。私は,この宇宙学校の「校長先生」をすることが多いのですが,子どもたちの質問には際限がありません。特にブラックホールは彼らのお気に入りで,始まったが最後,さまざまな種類のブラックホールの質問が押し寄せて,講師を困惑させてくれるのです。
分かりやすいだけが能ではない何年か前のこと,ある子どもが「ミニ・ブラックホールって何ですか?」と質問しました。ちょうどこの質問を受ける巡り合わせになったのは,実はガンマ線というエネルギーの高い電磁波によってミニ・ブラックホールを見つけられないかな,と考えている高橋忠幸さんでした。ツボに入った質問に出会った高橋さんが,この小学校高学年と思われる子どものややこしい問いにどのように答えるかな,と司会の私は興味深く見ていました。しばらく天井を見据えて考えていた彼は,分かりやすさなどには気を配らず,一気呵成(かせい)に自分自身の研究計画をまくしたてました。これまで分かりやすい説明で参加者を感心させていた講師のひょう変に,会場はどよめきました。
彼は,どこかの本を読みかじったらしい子どもの質問に,どう反応したらいいかを考えた末に,なまはんかに分かったと思わせてはならないと決心し,研究の現場の雰囲気を伝えるために,この挙に出たのだそうです。呆気にとられていた質問者の子どもに,その時限が終わってから私は声を掛けました。
何だか学校で勉強したくなった……またあるときは,宇宙学校を終えて約1カ月後に,あるご婦人から手紙をいただきました。初めて出会う名前に不審を覚えながら封を切ると,「一人息子の不登校が,宇宙学校で直った」とうれしいニュースが書いてありました。その子は当時小学校の3年生でした。図鑑が大好きだったその子は,1年前に小学校で先生から「図鑑なんか読むのはよしなさい」とたしなめられ,図鑑を読むことを厳重に止められ,その上,学校に持っていった図鑑を取り上げられてしまいました。ノイローゼになり,約1年間,1日も学校へ行きませんでした。母一人子一人の身で,そのお母さんは絶望的な気持ちで1年を過ごしました。
ある日,その子をコンサートに連れていって,ホルストの「木星」を聴いた帰り道,見上げた2人の目に木星が輝いていました。その瞬間,お母さんの頭の中で何かがピカッと光ったような気がしたそうです。最近何か宇宙のことを新聞で読んだような……。家に帰ってから,お母さんは新聞を急いでめくりました。あったあった! 宇宙科学研究所の「宇宙学校」の予告記事でした。数週間後,東京大学の教養学部で開催された宇宙学校にその母子の姿がありました。一日中,その子は飽きもしないで宇宙学校の3時限すべてを聴講して帰っていきました。それが土曜日。翌日の日曜日の夕食をとっていて,その子が突然お母さんに話し掛けてきました。 聞けば,「宇宙学校で同じ年ごろの子どもたちが非常に熱心に質問をし,講師の先生たちがそれに誠意をもって答えていた。その熱気に触れて,何だか学校で勉強したくなった。勉強して,あの講師の先生たちのような科学者になりたい」と。そして月曜日から学校へ通い始めてから1年ちょっと経ち,お母さんが再び手紙をくれました。 「あれからこの子は1年間を皆勤で過ごしました。立ち直る,あんなすてきなきっかけを与えてくださった宇宙科学研究所の皆さんに心から感謝します。あの日,この子を抱っこして高い高いをして,『お相撲さんに抱っこされると丈夫になると言うからね』と笑い掛けてくださった的川先生の言葉を,私もこの子も一生忘れることはないでしょう」 私も涙の中でうなずきながらつぶやきました。「私もきっと忘れないよ」と。 (的川 泰宣) |
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