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宇宙科学の最前線

夜空は明るい!? ─近赤外線背景放射の謎をめぐって─< JAXAインターナショナルトップヤングフェロー 井上 芳幸

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直接観測による初代星の兆候の発見?

 図1に、最新の宇宙近赤外線背景放射の観測結果をまとめる。本稿の内容は、この図1枚に集約されている。一見して分かるように、近赤外線領域では、観測データがばらばらである。これが、近赤外線背景放射が大問題であるゆえんである。実は、これらのデータは二つに分類できる。中抜きデータは、背景放射を「直接」観測した結果である。一方で、中塗りデータは背景放射の構成要素と目される個々の銀河からの光を実際に足し算した結果である。我々の銀河形成の理論モデルから期待される銀河由来の背景放射強度を黒の実線で示している。理論モデルと銀河観測はおおよそ一致しており、銀河からの寄与はほぼ理解できたといえよう。一方、直接観測の結果は銀河からの光より何倍も明るい。これは、宇宙の中に我々の知っている星・銀河以外の未知の近赤外線の光源があることを示唆している。


図1 宇宙近赤外線背景放射スペクトル
図1  宇宙近赤外線背景放射スペクトル [画像クリックで拡大]
中抜き点が直接観測、中塗り点が銀河の重ね合わせ、黒線が銀河形成理論から期待される寄与、緑線がガンマ線観測からの上限の一例。


 この超過成分をめぐって、さまざまな議論がされてきた。2005年の松本氏の記事に紹介されているように、宇宙で最初にできた星々である初代星が超過成分の起源であるというのが、一つの説である。仮に初代星が起源であれば、近赤外線背景放射は宇宙で最初に生まれた星々の研究において重要な知見をもたらしたであろう。しかし、初代星説は大きな問題をはらんでいる。

 初代星が形成された時期の宇宙では電子と陽子は結合しており中性であったが、その後宇宙は、これらの初代星が放つ紫外線などによってほぼ電離されたとされている。実は、再電離の観測から初代星説は現在、ほぼ棄却されている。仮に初代星が近赤外線背景放射超過を説明するほど大量に存在しているとすると、宇宙の電離度の観測と大きく矛盾してしまうためである。実際に我々は、宇宙背景放射観測衛星Planckによる最新の宇宙再電離のデータと後に述べるガンマ線観測からの制限を組み合わせ、初代星形成率に対する制限を課しているが、近赤外線背景放射を説明するには2桁ほど星形成率が足らない。初代星説は否定され、超過成分の起源の探求は振り出しに戻ってしまった。

 ところで、そもそも超過成分の存在は本当なのであろうか? 実は、近赤外線背景放射の直接観測には、黄道光成分の取り除きが大きな課題となっている。黄道光とは、我々の太陽系内に存在する塵による太陽光の散乱光である。黄道光は近赤外線背景放射よりはるかに明るく、黄道光の見積もりを間違えると、超過成分が現れかねない。そこで、直接観測ではない間接的方法で近赤外線背景放射を調べる手法の確立が求められていた。


ガンマ線観測は超過成分を否定

 ガンマ線と聞くと、赤外線よりはるかにエネルギーが高く、近赤外線背景放射研究とはまったく無関係に思えるかもしれない。しかし実は、ガンマ線が近赤外線背景放射研究において重要な意味を持つ。特にこの10年は、ガンマ線観測から近赤外線背景放射研究が大きく進展している。

 宇宙空間を伝搬する高エネルギーガンマ線(およそ100GeV[ギガ電子ボルト。ギガは109]以上)は、可視・赤外線背景放射と電子・陽電子対生成 反応(※2)を起こし、吸収される。このガンマ線の吸収量は、背景放射の明るさに依存する。そのため、遠方天体のガンマ線観測から吸収量を推定できれば、背景放射強度を間接的に測ることが原理的に可能である。2000年代後半からガンマ線望遠鏡の観測技術が進み、100GeV以上のガンマ線を感度よく観測できるようになった。特に遠方に存在するブレーザー(※3)といわれる天体の観測が盛んに行われ、吸収を受けたブレーザーのスペクトルが得られるようになった。

 さて、ブレーザーのガンマ線観測により、背景放射に関する重要な進展があった。松本氏の記事が出た翌年の2006年に、アフリカ・ナミビアにある高エネルギーガンマ線望遠鏡H.E.S.S.のチームがブレーザーの観測から、近赤外線背景放射の強度は銀河からの寄与と同程度であると結論づけ、それまでの直接観測の結果を否定した。同様の手法は、H.E.S.S.だけでなくほかのガンマ線望遠鏡などによっても着々と進み、より詳細な制限が課され、ほぼ同様の結果が得られている。スペイン領カナリア諸島にある高エネルギーガンマ線望遠鏡MAGICによる制限の一例を、図1に緑線で示してある。

 余談であるが、私はもともと活動銀河核の高エネルギー放射機構や宇宙論的進化、そして宇宙「ガンマ線」背景放射の研究に取り組んでいた(今も好きなテーマの一つである)。ここに述べたように、ガンマ線天文学において近赤外線背景放射は重要である。しかし、ガンマ線の研究を進めるにつれて、可視・赤外線背景放射の研究に疑問を抱き、大学院後半ごろからこのテーマに関わっている。結果、赤外線(10-2eV)からガンマ線(〜1014eV)まで約16桁にわたるエネルギー範囲の宇宙背景放射の研究に携われることになり、非常に幸運であったと思う。



(※2) 電子・陽電子対生成反応:光の相互作用により、エネルギーから電子(粒子)と陽電子(反粒子)が生成される現象。

(※3) ブレーザー:銀河の中心に存在する太陽の100万から100億倍もの質量を持つ超巨大ブラックホールに周辺物質が降着すると、莫大な重力エネルギーを解放する。これにより母銀河よりはるかに明るく輝く天体を、活動銀河核と呼んでいる。ブレーザーは、活動銀河核の一種で、宇宙最大の粒子加速器である相対論的ジェットを我々に向けて噴き出している天体である。ジェットという粒子加速器で加速された高エネルギー粒子からの放射およびジェットの相対論的効果により、ブレーザーは電波からガンマ線まで非常に明るく輝いている。

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