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宇宙科学の最前線

低環境負荷の推進剤を開発する

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HAN系溶液を用いたスラスタを開発

 さて、ここまではロケットモータの話でした。ここからはスラスタという小型エンジンの話をします。ロケットモータと比較するとずっと小さな話になりますが、スラスタは大変重要な推進装置です。ロケットのサイドジェット(SJ)や衛星の姿勢制御(RCS)に使われます。スラスタで使用する燃料はヒドラジン(N2H4)、またはヒドラジンベースの2液系と相場が決まっています。ところがこの材料、発がん性があり、取り扱いに難儀します。そこで、毒性が低くなおかつ性能が向上する材料はないかと、昔から多くの化合物が試験されてきました。Hydroxyl Ammonium Nitrate(HAN;NH3OHNO3 )もその一つです。この材料、性能は大変魅力的なのですが、燃え方が「じゃじゃ馬」的なのが欠点です。その苛烈な燃え方のために、世界中の研究者たちが手を焼いてきた代物です。私のところではだいぶ前から、この材料をおとなしくさせる工夫を凝らしてきました。数年前に何とか、性能を大きく落とさずに、スラスタの作動圧域でおとなしい燃焼特性を持ったHAN系溶液の開発に成功し、スラスタの試験を開始しています。現在、推力20N級のスラスタを試作して試験を行っています(図3)。先に紹介したGAPを用いたハイブリッドロケットは推力200N級なので、まだまだ小さい話ですが、スラスタは実験室レベルでいきなり「フルサイズ試験」ができるのがうれしいところです。


図3
図3 HAN系溶液を用いた試作スラスタ

 表1に、HAN系溶液(SHP163)とヒドラジンの性能比較をまとめます。HAN系は、ヒドラジンと比べて密度比推力で約70%上回り、融点でもはるかに優れています。すぐにでも使いたいところですが、逆に性能が高い(燃焼温度が高い)がための難点があります。触媒や触媒の保持材などの「耐熱」がその難点ですが、設計パラメータを振ってスラスタ内の温度場を制御することで、上手にその難点を避けて通りたいと考えています。昨年度、JAXAの理事長裁量経費で後押しをしていただき、何とかロケットフェーズ(サイドジェット用)の100秒燃焼に成功する条件、素材を見いだしました。比推力も240秒を達成し、燃焼効率も90%近くまで向上させることができました。実は9月15〜17日にベルギーのブリュッセルで行われた6th International Seminar on Flame Structureにおいて、この実験を主体的に行っている総合研究大学院大学博士課程の勝身俊之君に、その成果とHAN系溶液の燃焼機構をまとめた論文を発表してもらったところ、若手対象の論文賞を頂きました。しかし、衛星の姿勢制御で求められる耐久性の指標となる合計噴射時間「1万秒の世界」までは、まだ到達していません。ブリュッセルでは米国の大御所から「期待している」とプレッシャーをかけられましたが、何といってもここが腕の見せどころです。グループ一同、奮闘努力中です。
 また、GAPの燃焼機構とハイブリッドロケットへの応用について、10月下旬にインドのPuneで行われる国際シンポジウムで招待講演を行ってきます。話す内容はもちろん限られますが、少しは「見えを切って」くるつもりです。


表1
表1 HAN系溶液(SHP163)とヒドラジンの性能比較


(ほり・けいいち)


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