No.225 |
ISASニュース 1999.12 No.225 |
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その1射場安全の巻長 友 信 人学生時代にミューロケットの基本設計をして,頭の中は輝かしい未来で一杯でしたが,鹿児島では泥んこの台地とまむしが出そうな山や谷を長靴を履いて歩き回っていた記憶ばかりです。台地から台地にケーブルをひいたり,洋式トイレ小委員会を組織したり,ロケット班かタイマー班か自分でもよく分からず全部出入りしておりました。大分落ち着いてからも打ち上げの時は,双眼鏡と警戒水域の図とタイムスケジュールを持って,B旗を上げる作業員の人達と山頂の監視所に登っておりました。それと言うのも山頂から海上を眺めて「方位何度,距離いくらに漁船」と言えるのは高度な技術でしたし,何よりもその頃のロケットはレーダーやテレメーターで性能を確認する以前に目の前で事をおこすのが得意で,ロケット屋が「目撃する」ことは特別に重要な仕事だったのであります。
当時の花形ロケットはラムダです。ラムダは本来,観測ロケットでその3段式の 問題は危険性を予測してコマンドを送る決断を下すことです。とくに発射直後はレーダーの軌道予測が難しく,目視が頼りです。糸川先生の発想で,透明な板に肉眼で見えるはずのロケットの予想軌道をいくつかの方位角に対して描いたアイ・スクリーンという監視装置を使うようになりました。
L-4Sでは私は担当のCNエンジンの動作を確かめた後はレーダー台地に行く習慣でしたが,L-3HはCNがないので気楽な山の上か監視船に乗るかしていましたので,
アイ・スクリーンを透してラムダ台地を見る いよいよ発射です。天気は良く最高の条件でした。ロケットはとんでもない大きな音で静寂を破り,ぐんぐん上昇していきました。その軌跡はぴったり予定のコースで「さすが松尾君の計算は正確だ」と感心していると,急にかくんという感じで左に曲がりました。「ああっ」と口から出たものの,最初にとり決めた「異常」の限界に来ていませんので抑えてしまいました。ようやく限界を越えた時はすでにテレメータの計測データから異常が分かったようですが,逆に監視点では何も分かりません。青空に曲がった白煙の軌跡がゆっくりと流れていくのを見ながら「コマンド,送ったかな」とぼんやりしていた時です。天から龍でも吠えるような轟音とともに噴煙がサイクロイド曲線を描いて5,6キロメートル先の海上に落ちて行きました。それは点火したけど尾翼がないのでタンブリングして落下した3段目でした。見上げるとロケットの尾翼か何か,破片がひらひらと落ちてくるのも見えました。 最初の取り決めを無視して,すぐに「異常,推力停止」と怒鳴るべきだったかも知れません。しかし,ロケット屋にはそんな非情なことは出来ません。アメリカでは,セーフティ・オフィサーが情け容赦なく異常と判断したロケットを爆破するのだと聞いて,そうあるべきだと思ったのは後の話です。青空とロケットの真白な噴煙がいつまでも記憶に残っています。空気力学的に不安定なロケットはたとえ火がついても遠くには飛んでいかないことが分かったことと,その後,橋本保成,東照久各位の協力を得て板状破片の落下点の分布の実験をしたことがせめてもの成果でした。 (ながと・もまこと) |
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