No.225
1999.12

ISASニュース 1999.12 No.225

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「サンプルリターン計画に思う」

高 山 和 喜 

 昔,何かの間違いで,研究社の赤い表紙の本で白鯨を読んだことがある。ボートで鯨にこぎ寄せて,銛を打って鯨を仕留めるのはなんと勇敢なことかと思った。また,航海中の甲板で銛を磨きながらの話など,何となく鯨取りに興味を持った。年が経って,アメリカで学会二つに続けて出席しようと欲張って,中二三日の空きができたとき,鯨取りの記憶が蘇り家内に運転させてはるばるナンタケット島に行ったことがある。そこにはもう捕鯨基地の面影はなく,歴史さえも世をはばかるというような小さな鯨の博物館が昔を語り,観光地になっていた。帆船時代のアメリカ式捕鯨は,ヤンキー魂の発露だった。ノルウェー式捕鯨に駆逐されて,アメリカ式捕鯨が没落するまで,この島は捕鯨のメッカだったはずだ。ペリー提督が日本に開国を迫ったのも,三陸沖や熊野灘で活躍したアメリカ捕鯨船の乗組員の休息や補給基地を,日本に求めたアメリカの国内事情のせいで,このことは白鯨の中にもちょっとだけ書かれている。今も昔も勝手な理屈が先に立つものだ。

 宇宙科学研究所の小惑星サンプル計画に参加して,特に,衝撃波研究センターがプロジェクターの部分を担当させて貰うことになって嬉しかった。目標の小惑星は大きな岩の固まりとか。表面に砂利が散らばっていて,月旅行のように表面の石をちょっとつまんで持ち帰るなど考えられない。探査船が軟着陸したときは,巨大なさつまいもに蠅が止まったように見えるに違いない。小惑星からサンプルを採取するために,プロジェクターと言うピストルもどき装置で,金属の飛行体を比較的高速で小惑星の表面に打ち込んで,砕けて跳ね返った表面のかけらを集めカプセルに取り込んで,はるばる地球に戻ってくることになる。

 日本の宇宙科学やこれを支援する工学者にとっても,これは初めての計画で,どうしても成功させたい。この計画に掛かる費用は,もしNASAの計画だったら,宇宙研が用意できる額の百倍もするだろうと想像している。精神論だけでは何事も進まないが,にもかかわらず,この計画には宇宙研ばかりでなく関係した日本の大学の多くの研究者の,死語となったが「プライド」が懸かっている。この計画の初期の頃説明を聞いて,この計画に,丁度,川中島の合戦で武田の本陣に単騎で突入する颯爽とした上杉謙信のイメージが重なった。

 プロジェクターを担当している私の研究室の学生は,課題に非常に熱心に取り組んでいる。出来てしまえばプロジェクターは単なる金属の筒にすぎないが,試行錯誤や数値模擬など,ここにただ取りつくまで,長年の汗とちょっぴり涙がしみこんでいる。鯨取りが銛を磨いて準備した図を連想させる。だから,学生にこの計画を説明するとき,熊野灘の鯨取りの話をした。

 熊野灘の浜には見張りがいて鯨を見つけると,いくつかの村総出で鯨を船で追いかけて網で囲んで銛を打ちある程度自由な動きを止めてから,最後に最も勇敢な漁師が鯨に泳ぎ着いて馬乗りになって,銛で急所を一撃して仕留めると言う。

 私たちは銛を鍛えて最後に打ち込む役が担当でなので,何と晴れがましいことか,そのとき使う銛は鋭く強靱でなければならず,打ち込んで折れたり曲がっては,何とも情けないばかりでなく,この瞬間まで働いた多くの人々の連携作業が水の泡になってしまうと,発破を掛けている。どのように大きな,また,合理的に練られた計画でも,どこかに単騎突入の心意気を感じさせるような部分がなければ,人はついてこないかもしれないし,そのために汗を流さないかもしれない。白鯨の例え話は不適当かもしれないが,この後も宇宙研は日本の宇宙計画の船長であって欲しいと思っている。

(東北大学流体科学研究所 衝撃波研究センター長 たかやま・かずよし)



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