No.182
1996.5

ISASニュース 1996.5 No.182

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ロケット・衛星そして焼酎

古 賀 茂 昭 

 昭和40年9月某日夕刻,昨夜来の大雨も峠を越えて小雨の降りしきる高山駅に降り立った。これからマイクロバスで内之浦へ向かう予定である。やがてやってきたバスに乗り込むと長谷部先生,横山先生,市川先生(当時若かった)等強者の顔があった。

 最初バスはそれなりに快調であったがやがて山道にさしかかる(今にして思えば志布志湾沿いの道だろう)と雨で削られた道のため人体振動試験を受けるはめになった。幾度となく天井に頭をぶっつけ,心細くなって外を眺めると漆黒の暗闇。これは地の果てに来てしまったのではないかと錯覚する程で,あかりといえばバスのライトだけ,近くに海があることすらも分からなかった。やがてひなびた漁村(内之浦)の宿屋について,二十数時間に及ぶ長旅の汗を流したところで食卓にあるのが“いも焼酒”。最初の出合いである。同行の瓜本,下問,小路の諸先輩は既になにやら湯呑み にお湯を注いであおっている。“?”。差し出された液体を口へ運ぶ。臭い!!無理して飲み込むとムッとくる。小生とは極めて相性が悪く手に負えない代物である。以後いも焼酒との格闘が始まった。試行錯誤(それ程でもないか?)の結果オンザロックに決定,さつま揚げとの調和はすばらしく,飲み過ぎても二日酔いがない。

 翌朝勇んでバスに乗り込み実験所へ,ではあったがそう簡単に事は進まない。バスがぬかるみにはまりこみギブアップ。おかげで新調の運動靴も泥まみれ。本業の方は早川・松岡先生のK-9M-15号機「銀河X線観測装置」実験班で,準備作業中装置にやたら詳しい「おっさん」がやってきて高圧電源のポッティングについてひとくさり。あとで松岡先生から西村純先生(当時神戸大/後宇宙研所長)とうかがい大恐縮 (失礼しました)。結局原因は忘れたが打ち上げ延期,小生の宇宙開発事初めの思い出である。

 爾来“かに・はくちょう・さそり・ブラックホール・超新星・太陽”途中から“プラズマ・オーロラ・スペースシャトル”等々の語(学問は解らない)とつきあ うこととなる。

 その後K-10-2号機では怪奇現象に遭遇した。なんと時間と共に装置が成長するではないか。私の記憶が正しければ設計会議での申請重量は確か18L,暫くすると23L,28L,36L,45L,装置が出来上がった時は50Lを越えておりロケットもまた見事に背高く成長を遂げていた。X線天文の元祖CORSA衛星ではエクホームポッテ ィングで初回品のできばえが素晴らしく,ピンク色しておいしそうな出来映え。気を良くしてベーキング作業を行った。恒温槽から取り出してびっくり,ピンク色した若々しい肌はどこえやら,しわしわになり萎縮してすっかり老人化している。原因は主剤と硬化剤の配合比が逆であった。おそまつの一席。

 SEPACでMSFCを訪れた際トイレに低い仕切りしかついてない。さてこれからという時私の2倍はあろうかという巨漢が現れ、隣を占拠。親しげに話しかけてくるではないか。おまけに英語で(あたり前)。集中力がなくなり,初志断念と相なった。なんで他がいっぱいあいているのに隣にきて話かけるの

 焼酎については鹿屋のあるレストランでのひとこま。ウェイトレス嬢に焼酎のオンザロックを注文したが「?印」。「氷に焼酎を注いだやつ」と注釈して,暫く待つと「コップに氷」と「とっくり」が出てきた。とっくりを手にとって驚いた。熱いのである。今度はこちらが「???」。宇宙開発もまた楽し版である。

 小生も定年まであと残り僅か。今日まで三十数年絶えずとロケット・衛星に関わることが出来た好運,小田稔,故早川幸男先生をはじめ諸大先生(鉄腕アトムのお茶の水博士みたいに偉い諸先生:小生宇宙開発は同博士のような人がやるものと思っていた)の教えを授かる機会に恵まれたこと,いも焼酒に出会えたことを感謝すると共に,宇宙研の更なる発展を祈りながら,昨夜も鹿児島から送られた“いも焼酒”を痛飲してしまった。

(こが・しげあき,明星電気宇宙開発部) 


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