No.182
1996.5

<研究紹介>   ISASニュース 1996.5 No.182

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宇宙を顕微鏡で見よう(火星の生命探査装置)

三菱化学生命科学研究所  河 崎 行 繁 


◆事の初め

 なにも逆説な事を言おうとしているのではありません。でも,宇宙の探査においては望遠鏡ばかりでなく顕微鏡にも活躍の場は充分あるのです。特に,生命探査の場合はそうです。しかし,いままで地球圏外で顕微鏡が表舞台で活躍したことは一度もありませんでした。

 私たちが肉眼でパッと見ただけでわかるような生物は大きさが1B以上あるものと言って良いでしょう。表1に示した地球の生命史を見てみますと,地球が誕生したのが46億年前,生命が誕生したのが38〜40億年前,1B以上の大きさの生物が誕生したのが6億年前です。すなわち,生命史の初期の32億年以上は顕微鏡的生物の時代だったのです。地球で起こったことが全宇宙的に成り立つかどうかはわかりませんが,簡単で微少な生物から大きくて複雑な生物へ進化すると言うのは必然であると考えて良いでしょう。そこで,もし地球外で生命を探そうとした場合,1B以上の大型生物のみを対象とする場合と1μm程度の微生物までを対象とする場合では,宇宙生命探しが成功するかどうかの賭率が大幅に違ってしまいます。賭率計算のための基礎データとして地球生命の歴史をとると,大型生命検出の確率と微生物を含めた生命の検出の確率との比は1/5以下となります。しかし,宇宙には我々の太陽系に比べてより短時間しか寿命がない惑星系が多数あります。また,長寿命惑星系があったとしても,その中で地球ほど生命の誕生に適した惑星はまれでしょう。多くの恵まれない惑星の中では,たとえ生命が誕生したとしても,大型生物が出現する程までに進化できず,微生物だけしかいないものが多数を占めるでしょう。すなわち,宇宙レベルで生命を考えた場合,まず,微生物を考えるということは必然です。

 微生物が主役として活躍できる舞台は,地球外生命を探査しようとする場合ばかりでなく,地球生命を宇宙へ送り出す,また,宇宙を地球生命で汚染しないかどうかを調べる場合でも同様です。このように,宇宙で微生物を探すということのために顕微鏡が登場するのです。

 もう一つ,地球上においても微生物の役割は再認識されています。人間の将来を考えた場合,最も重要なことは食料問題と環境問題でしょう。これら二つの問題解決に関して,微生物が根本的な役割を果たすということは間違いありません。しかし,地上で微生物を知り,それを制御するためには種々の未解決の課題があります。その中で最大のものが,自然界での微生物の数,生死,種を決めることです。すなわち,宇宙で微生物を探査するということと,地球で人間の将来を左右する問題の解決を図るということが,ここでドッキングするのです。

 このような背景の基に,私たちは宇宙レベルで微生物探査を行うため,顕微鏡を地球に限らず地球外,すなわち宇宙へ向けようと準備をしています。



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表1 地球の生命の歴史
年代
事象

〜46億年前

地球誕生

40億年前

有機物の蓄積
  最初の生物出現
  光合成生物の出現
  無機呼吸鎖の形成

30億年前

 

20億年前

酸素呼吸生物の出現
  真核細胞生物の出現

10億年前

多細胞生物の出現
  大気中の酸素蓄積
  中・大型生物の出現

5億年前

 
  陸上植物の出現
  陸上動物の出現

1000万年前

人類の祖先がゴリラ、チンパンジーから分岐

500万年前

人類の出現

50万年前

原人(シナントロプス、ピテカントロプス)の出現

10万年前

旧人(ネアンデルタール)の出現

5万年前

現生人類の出現

5000年前

メソポタミア文明

◆これまでの地球外微生物探査

 ここで今までに行われた地球外微生物生命探査はアメリカが1975年から76年にかけて行った火星探査(ヴァイキング探査)のみです。そこでここではヴァイキング探査での生命探査について振り返ってみましょう。

 ご存じのように,ヴァイキング探査では火星に生命がいるという積極的な証拠は得られませんでした。ヴァイキング探査で特徴的なのは,火星生命が地球と基本的に同じと仮定して,代謝実験や培養を用いた実験を行った事です。でもこれらの実験で検出できるのは,代謝を起こすための条件や培養の条件がわかっている微生物だけです。

 地球の微生物の場合でも条件が適当でないとこれらの実験方法で検出出来ないことが多いのです。ましてや,火星生命の場合はよりわけがわからないものである可能性がありますから,なおさら困難でしょう。

 そこで私たちは,培養とか代謝とかにあまり依存しないで微生物を検出する方法を開発することにしました。


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◆ミッシュラン(レストランの評価基準)にならった生命検出法

図1 未知の物体がどの程度生命らしいかということを顕微蛍光法で判断する

 生命の三大特徴についてそれらの特徴を担う分子や構造が存在する。蛍光色素の中には,これらの分子や構造に吸着したり作用を受けたりすることにより蛍光を発するようになる蛍光色素が存在する。これらの蛍光色素で未知の物体を染色し,その物体がどの程度発色するかで,生命らしさを判断するための実験的データが得られる。すなわち,核酸検出色素のみで光れば星(*)一つ,さらに細胞膜吸着色素でも光れば星二つ(**),さらに,酵素作用を受ける色素でも光れば星三つ(***)となり,この順に「生命らしい」と判断できる。


 私たちが用いた方法は顕微蛍光法と呼ばれます。この方法では,未知の試料に蛍光色素を振りかけます。そして,その蛍光色素が生命特異的な物質と反応して発する蛍光を検出して生命がいるかどうかを判定するわけです。この場合、地球外生命も基本的には地球生命と同じ原理で成り立っていると仮定します。地球生命の原理と顕微蛍光法の原理を図1に示します。

 生命の特徴は大きくみて三つあります。一つは情報を保持していること(自己複製が出来ること。)二つ目は自己と外界の区別をすること,そして三つ目は物質やエネルギー代謝をすることです。地球生命はこれらの特徴を担う分子や構造を持っています。それらはそれぞれ核酸,細胞膜,酵素です。私たちは地球外の生命でも,これと似た分子や構造を持っていると仮定しています。さて,蛍光色素にはこれらの分子や構造物と反応してはじめて光るものがあります。すなわち,これらの蛍光色素が光ればこのような分子や構造が存在するということがわかるわけです。蛍光色素の発光を検出することは容易で,現在の技術で微生物一細胞でも充分検出できます。従って,培養の必要はまったくないわけです。ただし,自然界には雑多な物質が存在するため,たまたま上に述べたような生命の特徴に対応した発光と類似の発光を示すことがあります。すると,生命でないものを生命であるかのように間違えてしまうこともあり得ます。このような間違いを完全に消すことはできませんが,上述の生命の特徴に応じて,二種または三種の蛍光色素を用い,これらがすべて発光すればこの物質は非常に生命らしいと判断できます。すなわち,一つの色素で光れば*一つ,二つで光れば**,三つで光れば***となります。これはフランスのタイヤメーカーであるミッシュラン社がホテルやレストランの評価の際に*の数でランク決めをしたのと同じです。すなわち,私たちは蛍光顕微鏡と蛍光色素を組み合わせた顕微蛍光法で生命らしさのミッシュラン評価表をつくろうと思っています。地球土壌を三種の蛍光色素で染めた例を図2に示します。

 図2にあるように,一種の色素では判定困難なものでも複数の色素を用いると生命らしい物をより的確に判定することが出来そうです。地球外生命のように,相手の素性が良くわからないものではこの顕微蛍光法が強力な武器になると信じています。

図2 素性のわかった微生物と土壌とを混ぜた試料を三種の蛍光色素で染色したものの顕微鏡写真


A 微分干渉像
B 細胞膜吸着色素ANSの蛍光像
C 酵素作用を受ける色素CFDA-AMの蛍光像
D 核酸検出色素EBの蛍光像
Aにおいて ★印と ←印の物体はすべて微生物であるかのように見えるが,蛍光像を見ると ★印のものは全ての色素で発光しているのに対し ←印のものは Cでやや光っている程度である。従って,★印のものは微生物,←印のものは土壌粒子と判定して良いであろう。実際 ★印は細胞性粘菌の胞子である。
スケール   :20μm
ANS    :1-anilinonaphtalene  8-sulfonate
CFDA-AM :5-carboxyfluorescein diacetate acetoxymethyl ester
EB     :ethidium bromide



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◆火星の何処を探そうか

図3 地球土壌の中の微生物の深さ分布

 土壌をエステラーゼという酵素の作用を受ける蛍光色素SFDA(5−< and-6 >−sulfofluorescein diacetate )で染色することによって微生物を検出した。微生物数が最大値を示すのは地表ではなく地下15Bの所であることに注意。この原因は地表は乾燥したり紫外線の照射を受けたりすることによると思われる。

 顕微蛍光法では現地へいって生命探査をするわけですから何処を探すかが非常に重要です。火星の中でも場所がいろいろあります。ヴァイキング探査の所で述べましたように,生命探査がうまく行かなかった理由の最大のものは火星表面のみを探査したということでしょう。結果論ですが火星表面は紫外線放射線が雨あられと降り注いでいます。(現実には火星では雨もあられも降りませんが。)従って,生命はおろか,有機物でさえもほとんど分解してしまいます。これでは生命がいるはずはありません。ですから,今度生命探査をするならなにはともあれ,地下を探査しなければなりません。どれぐらい掘れば良いのでしょうか?

 それはわかりません。生命が生存するには水が必要です。ですからまず水がありそうな所を探すことになります。私たちははこの予備知識を得るためにモデル実験で地下何メートルに水(結晶水)があればリモートセンシングで検出できるかを調べるべきだと提案しています。まだ,この実験はできそうもありませんが。

 次には,過去に水が流れた跡であると思われる地域を選ぶことです。火星には川の跡と思える場所や隕石がぶつかった際に地下の水が溢れ出たと思われる場所が沢山あります。この近辺を掘れば生命を見つける可能性が増すでしょう。現在明らかに氷がある極冠のあたりも候補です。これらの場所で地下を探ればあるいはという気がします。

 温度の点から考えてみましょう。地球では生命は地球誕生後6から8億年で誕生しました。火星でも最初の10億年は全惑星的に高温であったといわれています。その時代に液体の水が存在していたとすれば生命誕生の可能性は充分あったでしょう。そして,その後,温度が下がったとしたら一度生まれた原始生命がそのまま保存されている可能性もあります。火星の生命探査は現在生きている生命を探査すると共に,過去の生命のミイラを探査できるかも知れないという点で科学的価値があります。地球では物理的にも化学的にも生物的にも活動が活発であるため,過去の遺物はすべて消される傾向にあり,地球で原始生命を見つけることは至難の技なのです。



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◆火星生命探査装置

 我々が考えている火星の生命探査装置の構成を図4に示します。これはほとんど地球上で用いられる装置と同じですが,大きな違いは完全に自動であることと,検出器部分の重量が10L以下と非常に軽くなければならないことです。もし,この装置,、図2の様な画像が得られれば,乾杯ということになります。

 このような装置は宇宙ばかりでなく地球においてもポータブルな微生物検出装置として充分役立つものです。

図4 火星微生物検出装置の装置構成図

 左上にある試料採取装置で採取された土壌を適当な容器に貯め,その一部を回転寿司の台のような試料台に載せる。そこへ蛍光色素の入った染色液をふりかけ,直ちに顕微鏡で蛍光像を撮影,記録する。

(かわさき・ゆきしげ) 


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