宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASメールマガジン > 2010年 > 第285号

ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第285号

★★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ISASメールマガジン   第285号       【 発行日− 10.03.09 】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★こんにちは、山本です。

 九州地方は菜種梅雨だそうです。関東地方は雨が降ると未だ山沿いでは雪が降っていますが、相模原キャンパスでもそろそろ菜種梅雨の季節が近くなっています。春の花のシーズンもすぐそこまで来ているようです。

 花がさくと、どこからともなくハチがやってきますが、今週号は火星でハチは飛べるだろうかという実験の速報です。

 今週は、宇宙農業サロンの山下雅道(やました・まさみち)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:ハチ 火星を飛ぶ
☆02:IKAROSメッセージキャンペーン 締切(3月14日)迫る!※3月22日まで延長になりました。
☆03:「あかつき」「イカロス」打上げ予定日決まる
☆04:月探査ナショナルミーティング【有楽町朝日ホール】
☆05:今週のはやぶさ君 と 「はやぶさ」軌道情報
───────────────────────────────────

★01:ハチ 火星を飛ぶ

 シャーレの表面を匍匐前進するアメーバ、池のなかで賢く遊泳するゾウリムシ、小川で学校泳ぎするメダカ、サバンナを疾駆するヒョウを 決してけなすのではないのだけれど、空をとぶ鳥やほ乳類のなかではコウモリ、そして昆虫にあこがれている。これをしのぐには、ヒトは空をつきぬけてさらにその上の宇宙を飛ぶしかない。火星に降り立ち、宇宙の進化の珠玉の帰結のひとつである生命のはじまりをさぐる。それには、なにはともあれ火星でもおいしい食べ物がいる といって取り組んでいるのが宇宙農業だ。

 生物としての成功をはかる物差しに種の数がある。生物のなかで昆虫の種数は格段に多く、全体の種数の半分をしめるともいわれている。昆虫のそんな繁栄のみなもとは、植物が有性生殖のための器官として花をつけ、花は蜜を献上するのと引き替えに別の花へと花粉をはこぶ昆虫を進化させたことだといわれている。花と昆虫の愛憎入り乱れた共進化の歴史のなかで、花をつける植物は専属の送粉動物をもとめ、互いに種数をふやした。

 よいこと、わるいことひっくるめて(宇宙活動はよいことの方だと信じているのだけれど)人類の歴史・文明を華ひらかせたきっかけは、一人が一人以上の食料を安定して供給することのできる農業の発明である。そんななかで家畜化された昆虫はふたつあった。ひとつはカイコだ。火星にクワの木を植えてカイコをそだて、マユのなかで変態したサナギを食べようという宇宙農業の提案は、世界中の耳目をひきよせた。

ISASメールマガジン第186号【昆虫をたべて宇宙に行こう】
ISASメールマガジン第264号【火星で食べるヘルシー・シルキー酒まんじゅうクッキー】
新しいウィンドウが開きます フランスの宇宙機関CNESの広報誌:CNES MAG
新しいウィンドウが開きます CNESMAG n°44 (58〜60ページ)
新しいウィンドウが開きます デンマークの公共TV放送の宇宙番組
新しいウィンドウが開きます JAXAクラブニュース > 宇宙で農業をする時代がやってくる!

 ミツバチはもうひとつの家畜化された昆虫である。ミツバチがたくさんの花からあつめた蜜のウワマエを人間がかすめとる。そして、ミツバチは花を授粉させ、ゆたかな実をみのらせもする。

 火星でハチをとばそう。火星の重力は、地球の重力とくらべるとおよそ1/3。そんな火星でハチは花のあいだを飛び交い 授粉することができるだろうか。飛行機の弾道飛行の飛び方を一ひねりすることにより、火星を模擬した低重力の実験ができるという。東京医科歯科大学・粂井康宏先生とダイヤモンドエアサービスが発明した。飛行機実験のできるところが世界にはいくつかあるのだけれど、名古屋をベースにして活動するダイヤモンドエアサービスでしか この低重力実験はできない。わたしたちが世界中で火星に一番近い。

 ミツバチといえば、ISAS・相模原キャンパスとは指呼の間にある玉川大学が研究の中心だ。農学部の佐々木正己先生に、航空機実験の希望とその趣旨を聞いていただいた。熱意の証しに、相模原キャンパスの春先に咲くナノハナの花にとまった「ハチ」の写真をおみせすると、
「翅の数をみてごらん。これは2枚で ハナアブだ。」
いきなり途方にくれる。

 ハチの生物時計が佐々木先生の研究分野のひとつだ。北欧の短い夏、いつもなら日の暮れる極北の白夜にいそがしく飛び交うハチとその生物時計のありさまをお聞きする。航空機実験には、日本の在来種で栽培ハウス内での授粉用に利用されてもいるクロマルハナバチの しかも雄を使うこととなった。仮に逃げ出しても産卵管に由来する毒針を雄ゆえにもたないので刺される心配がない。ためしに、20匹ほどのクロマルハナバチの雄と餌のどろっとした砂糖水を相模原へと譲り受けた。

 大きな体のわりには小さな4つの翅を1秒間におよそ200回ふるわせてハチは飛ぶ。私たちは脳の指令により腕や足をうごかす。これとはちがって、ハチの翅の細かな動きそのものは脳が指令しているのではない。1秒200回ふるえるのは、翅をふるわす1対の筋同士の合図の掛け合いできまる。翅が一周期のなかでどんな角度をとるかとか、左右の翅のふれの大きさを調節するのに脳から指令がとどく。飼育箱をつつくと、一群のハチは一斉に翅をふるわせて200Hzの音をたてる。すぼめた手のひらのなかにハチをいれると、筋の震動がこそばゆく心地よい。

 ハチには迷惑だったろうけれど、出会う人ごとにこのこそばゆさを体験してもらった。ホバリングするハチの下に手をかざすと、翅の動きが送る強い吹き下ろしの風を感ずる。マルハナバチが小さな翅のうごきで大きな体の重みをささえ、なぜ飛べるのだろうかは、流体力学の謎のひとつとされてきた。翅の縁近くにできる空気の流れの渦がミソであると、このごろの研究で明らかにされている。

 航空機実験までさほど時間は残されていない。ハチの飛び方や翅のうごきを記録するのに、どんなカメラや照明装置で撮影するか、お茶の水女子大学・名誉教授の馬場昭次先生の知恵を借りながら検討する。特殊実験棟の工作工場に朝早くからたてこもり、フライス盤、旋盤、ボール盤の周りに切削くずをまき散らして 装置つくりにはげむ。実験を制御する電子回路の製作は、工作工 場・工作員にして宇宙農業者第一号・河本正光さんの本職・得意技にすがる。それでも、老眼の進んだ身に、航空機実験ができるかどうかを判定する審査日は駆け足で近づく。

 名古屋での実験を1週間後にひかえ、航空機実験でつかう高速ビデオカメラをナックから借用し、装置のできばえを総合的に確認した。その日は佐々木先生が初めて実物の装置を検分する日でもあった。いくつかの手直しの末に装置は動きだした。しかし、みるみる佐々木先生の顔が曇る。ハチの飼育箱を真っ暗にしておき、航空機がパラボラ弾道飛行(低重力、無重力)に入ったところで天井に光をともしてハチを飛ぶ気にさせるというもくろみだ。ところが、準備した実験装置では光が暗い、飛ぶ空間が狭い。

 急遽、研究調査特殊機器をあつかう京都のHogaから30cm立方の昆虫飼育箱をとりよせる。せきこんだ電話に応対する京都弁が、このときばかりは頼もしくひびく。ハチの行動を撮像するために サイコロ状の飼育箱の1面を透明なプラスチック板にかえ、強烈な光源を天井に貼り付ける。初代元祖ビデオ・カムコーダーをほこりのかぶったガラクタ箱から引っ張り出してその前に据える。最後の極めつき突貫工事で名古屋への装置発送に滑り込む。

 久しぶりに訪れた名古屋のダイヤモンドエアサービスには、カエル、オタマジャクシ、そのほかたくさんの動物の無重力下での行動の観察・実験をしたときに世話になったなつかしい面々が、お互いすこしずつふけたのだけれど、ならぶ。ダイヤモンドエアサービスの実験室には、玉川大学、そしてアリスタサイエンスの光畑雅宏さんが手塩にかけ選び抜いたクロマルハナバチが集結した。一部のハチは個体識別できる背番号付きだ。航空機実験の予定時刻にハチの生物時計をあわせ、眼パチ英気みなぎり飛ぶ気まんまんにしようと、ハチは8時起床、13時にはもう就寝、前夜から実験につかう飛翔箱の中ですごす。

 朝 飛行機が飛ぶ、パラボラ弾道飛行にはいる、光がともり、カメラが起動する。飛んだ、火星をハチが飛んだ、飛びまわる。

 名古屋から太平洋に出た高空の空域で 2日間、計28回のパラボラ弾道飛行、5つのいくつか条件のちがう飛翔箱のなかでハチが飛ぶのを それぞれに異なるタイプのカメラで記録することに、すべて成功した。手堅いISASの職員・長谷川克也さん達二名が名古屋での飛行実験の助勢にはいってくれたおかげだ。肝心かなめのところでつい手が滑ってしまう山下ではこうはいかない。一つの記録動画クリップの長さは25秒、28回分5台のカメラで総計1時間以上の動画データ、低重力実験では低重力状態の持続時間が25秒をこしたのもうれしい誤算だ。高速撮影した動画は20倍以上のスロー再生となる。いま、ハチの飛び方、翅の動きにしょぼつく眼をこらし、解析を進めているところである。記録された動画を駆け足で流し見しただけでも、ハチの飛翔のサイエンスを論ずる確かな手応えをつかんでいる。

山下雅道(宇宙農業サロン)

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※