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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第82号

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ISASメールマガジン   第082号       【 発行日− 06.04.04 】
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★こんにちは、山本です。

 週末の陽気で、ISASの桜も満開を過ぎ、強風にあおられて花吹雪の様相です。

 80号に九州朝日放送の「ドォーモ」のことを書いたところ、先号で全くその続きの話が無かったとメールがきました。実は、年度末だったこともあり、私が研修に行ったり(何でこの年度末に研修があるんだ!!!)、仕事に追われたりしていたものでビデオを見ていません。10日過ぎ位まではこの調子で忙しいので、「ドォーモ」鑑賞の話ができるのは半月後くらいになりそうです。

 今週は、ISAS対外協力室(システム開発部)の周東三和子(しゅうとう・みわこ)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:ペンシルロケット記念碑除幕式挙行
☆02:宇宙科学講演と映画の会
☆03:「第5回 君が作る宇宙ミッション」参加者募集!
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★01:ペンシルロケット記念碑除幕式挙行

 前号でお知らせしたように、国分寺のペンシル水平試射の跡地に「日本の宇宙開発発祥の地」記念碑が建立され、うららかな花見日和となった4月1日(土)、除幕式が執り行われました。

 発射実験が行われた新中央工業工場跡地は、その後新日鉄グランドとなり、5年前早稲田実業学校がここに移転してきて、今はその野球場となっています。球場整備や周囲の建物を建築した際にコンクリートの建造物が地中から出て来たそうですが、壊す必要のあったところ以外は埋め戻されたとのことです。記念碑建立には、早稲田実業学校が快く校地を提供して下さり、一般の方がいつでも見に来れるように、正門前広場の道路寄りの目立つところに建てることが出来ました。少し奥には、早実出身の王貞治さんの記念碑も建っています。

 記念碑は高さ1m余りの御影石作り、上面に国分寺市長の筆による「日本の宇宙開発発祥の地」の文字、その下にペンシルロケットを持つ糸川英夫博士の画像が黒御影石に写真そのままに彫り込まれました。正面にはペンシルの浮き彫りと記念碑の由来の碑文、両翼には当時の実験の様子2枚も刻まれています。また前面下にはタイムカプセルを埋納した上に、松本零士さんの銀河鉄道999のイラストが彫り込まれた黒御影石が載せられています。

 除幕式とタイムカプセル埋納には、地元国分寺市民、早実関係者、ペンシルロケットの設計者など実験関係者を始め多くの方が参集し、「未来のロケット」のイラストを描いてくれた子どもたちも大勢参加、除幕のひもを一緒に引いてくれました。タイムカプセルは50年後の2055年に掘り出すことになっていますが、それはこの子たちに託すことになるでしょう。

 第2部では、小室哲哉ホールというすてきな会場で、糸川先生にチェロを教えたことのある国分寺在住のチェリスト松下修也さんの献楽があり、糸川先生が好きだった曲も演奏されました。的川JAXA宇宙教育センター長からは、まさにこの地での29回のペンシルロケット水平試射から日本の宇宙開発が始まったこと、糸川先生の常識にとらわれない逆転の発想がペンシルを生み、日本の宇宙開発を育てて来たことなどが話され、子どもたちも含めた300人近い方たちが熱心に聞いていました。

 式典終了後は、出来上がった記念碑を囲んで記念撮影をしたり、さわってみたり、立ち去りがたい思いにかられます。

 思い返せば、昨年9月20日「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰会が正式に発足してから6ヶ月余、早々に除幕式を4月1日に行うと決めてしまってからの募金活動で、予定通りの寄付が集まるかどうかハラハラドキドキの数ヶ月でした。

 記念碑の建立には地元国分寺市民、早稲田実業関係者のみならず、ペンシルロケット開発に携わった方々、その後を引き継ぐ東大宇宙研、宇宙科学研究所のロケット開発に従事した方々(メーカーも含む)から、多くの賛同が寄せられました。全国のメルマガ読者の方々からの寄付も含まれています。年が明ける頃には少なくとも石屋さんへの支払いは出来そうな額が集まり、ほっとしました。

 昨年12月に亡くなられたペンシル設計者の戸田康明氏(当時富士精密、のち日産自動車)のご遺族からも、戸田氏が生前、国分寺跡地へ行き、「日本のロケットがどこで発祥したのか、、、将来知る人がいなくなってしまうのは寂しいけれど、、、今の自分には何にも出来無いナ、、、」と嘆いておられたこと、「生涯かけての仕事関係に幾分かの寄付が出来ないものか」と考えておられた折りであったとのことで多額の寄付を寄せていただきました。

 その後も続々と寄付が寄せられ、遂に目標の500万円を達成。賛同者は1000人近くになりました。

 顕彰会メンバーがそれぞれ持てる特技を発揮して、多くの方々の力添えを得て出来上がった記念碑。お近くにお出での節は是非お立ち寄りください。

(周東三和子、しゅうとう・みわこ)

http://www.isas.jaxa.jp/j/snews/2006/0403.shtml

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※