No.214
1999.1

ISASニュース 1999.1 No.214

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+ 東奔西走
- 宇宙輸送のこれから
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出張今昔

東 照久   

 私は旅が好きだ。30数年前,東京大学宇宙航空研究所に勤務することとなり,おかげさまで実験班(ロケット班)として,南は鹿児島宇宙空間観測所,北は秋田県能代ロケット実験場へと出張することが出来て,あちこちの町を歩いた良い思い出がある。当時(1965年頃)のKSC出張は年間,7次8次と数多くあり(現在は1次夏期2次冬期)私の年間最高出張日数は201日という記録(?)がある。その頃の出張は汽車の座席で行くのがあたりまえ,飛行機など考えられず,特急寝台列車は,エラ〜イ先生方がお乗りになるものと思っていた。現在宇宙研でロケットにたずさわって一番古い観測部企画管理課の林課長からは,1959年頃秋田県道川実験場へ出張の時は上野駅より急行「津軽」三等席の座席で,ロケットを抱いて行ったもんだ,と言う話を聞いたことがあるが,私の場合そこまで古くないにしても,鹿児島へ行く時は東京駅より急行寝台「霧島」で24時間位,能代へは急行「津軽」で出張していた。

 少し時が経ち,ロケット打上げ実験等に慣れ,生意気になった頃から,特急寝台「はやぶさ」とか「あけぼの」とかに乗るようになった。鹿児島本線,日豊本線,志布志線,奥羽本線等々,書いているだけで昔の良い時代を思い出す。人文地理の勉強にもなった。今の若者達の出張を見ると,飛行機利用で,せっかくの途中の町々を知らないで飛びこすだけ,もったいなく思う時がある。歌の文句じゃないが,夜汽車のレールがきしむ音を聞きながらガラス窓に写る自分の顔を見て何を思ったのだろう,色々明日への夢を見て出張していたように思う。24時間(1500km)も走りつづけていると,車窓各町村の景色も,変わってくる季節感もじっくり味わえた。

 他に楽しい思い出としては駅弁である。今ではデパートの全国駅弁大会でしか見られないが,当時は,窓を持ち上げて「オーイ弁当」「お茶」と叫んだり,ホームを走りまわって発車のベルを聞きながら飛び乗っていた。しかも,当然私共若者は先輩達の弁当の面倒も見させられた。長い時間狭い席にいてもう一つの楽しみは食堂車であった。オリエント急行の食堂車とは比べものにはならないが,なかなか良い気分になり,朝食は和食,夕食はビールにビフテキ,ガタガタ揺れながら車窓に知らない町を見ながら食事する時の気持は,遥か遠くへ行くのだなァと思われた。年間数回も東京〜鹿児島,東京〜秋田と同じ列車を利用していると食堂車のウエイトレスさん達とも顔なじみとなり,いい線までいった人達も居たようだ。

 長距離列車だと色々ハプニングもあった。事故での停車,町の火事も見ながら走り去って行ったり,九州に入ったら台風大雨のため洪水で駅ごと水につかったため,その場で列車はストップ,降ろされてしまった。同席していて車内で仲良くなった一人旅の若い女性を助けるはめになったり…。

 北国能代方面も今は飛行機,新幹線,東北高速道路等あるが,昔,急行「津軽」に乗っていると,青森より青函連絡船にて北海道まで行くクラ〜イ過去のありそうな人に逢ったもので,話を聞いているうち,同情したりして自分もなぜか演歌の主人公にでもなったような気持になったものだ。

 話はかわり寝台車では,先輩達と一緒に乗ると弁当の世話から荷物の上げ下げまでやらされ,夜寝る前はウィスキー又はビールを飲まされ,私共若者は眠いのに無理やり先輩の自慢話にも近いロケット学を滔々と聞かされたこともあった。でも今思えば後日大変役に立った事もあった。

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 昼間の席では,息子,娘の居る東京へ行き,東京見物して九州,又は東北へ帰るジイさんバアさんの荷物を棚に上げてやって,田舎の話,東京での楽しかった話を聞いてあげたこともあった。今はメディアの発達で方言はあまりおもしろくないが,当時列車内でお国なまりが,あちこち飛びかっていたのを,大変興味をもって聞いたものだ。

 出張といえばもうひとつ気になったのが,服装であった。東京から遥か九州・東北へ行くとなると,おもいっきりおしゃれした思い出がある。田舎の人達に東京人としてみっともない格好は見せたくないという気持があったのだろう。今はファッションなど全国同じ,むしろ地方の方がしっかりしている。服といえば年間何回も内之浦,能代へ行くので各々の旅館には春秋物,夏冬物をいつ行っても不自由しないように一式預けていたものだ。

 数多い出張のおかげで,良い旅そして良い思い出を残させていただいたことを感謝している。この3月で退職するが,退職後いつの日か,若い時に走った町々を再度列車で旅してみたいと思う。

(ひがし・てるひさ)


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