No.214
1999.1

ISASニュース 1999.1 No.214

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真空管と私

船曵勝之 

 私は40年余,むかし航空力学部門,いま気体力学部門で,主に実験を主体とした計観測の仕事に従事してきました。

 定年を前に,限られた紙面でなにをどう書こうか,とまどいましたが,誰にでもある遠い少年時代の思い出に加え,仕事上印象に残っている苦労話の少しでも書ければと思っています。今日までかかわってきた仕事に関しては,すべて研究所報告のほか,シンポジウムなどで公表されていますので出来るだけ省きます。

 少年時代,給食の缶詰の空き缶と銅線で作った直流モーターの成功が発端となり,ラジオ雑誌を参考に三球式ラジオをはじめ,短波受信機,当時のハイファイアンプなど,いま流なんとかおたくということば通り,作っては分解,組立,改造を繰り返していました。

 とりわけ,短波受信機でNHKによる海外からの日本語放送(VOABBCなど)を,フェーディングの強い状態ながらも受信した時など,印象深いものがあります。放送の始まりは,VOA1951年9月BBCは翌1952年12月からとのNHK担当者のご返事でした。特にBBCからの放送は,戦後の人気娯楽番組「二十の扉」の司会者,藤倉修一アナウンサーだったため記憶に残っていました。翌年エリザベス女王の戴冠式を実況放送されたそうです。VOAは岡田実アナウンサーほか2〜3人のスタッフが担当し,対日講和条約関連の報道をしていたとのことでした。

 ざっとこんな少年時代の体験が,今日まで計観測関連の仕事を続けることができた大きな柱でした。当然,周りの支えがあったからの結果です。

 研究所での駆け出しでは,写真に使用する薬品の調合からDPEまで出来ないと,文献の複写,圧力測定が出来なかったし,圧力測定についても,多管マノメーターを作り,水銀を洗浄濾過し等々,一つの測定項目について,関連する仕事がいっぱい付随し,現在のようなブラックボックス化され,スイッチとキーで事足りる時代ではなかった。でもそれなりに関連技術が修得できたことは,今思えばプラス面も多く幸せな時代でした。

 衝撃波管実験の初期には,計測部門の先生が設計された電子管方式による10ビットの時間間隔測定器(クロックは1MHz)をいただき,疑似入力による時間間隔校正テスト,また S/N比との闘いに悩まされたことなど,いまだに記憶に鮮明です。結局,現象のシグナル増幅で真空管アンプと決別できたのは,シンクロスコープ付随のプリアンプを除き,IC による乾電池電源を使用したアンプを試作し利用し始めてからです。試作された増幅器は,IC の価格が現在の20倍位した27年くらい前のことですが,このアンプは今だに使用可能です。従来の重量が20kgにも及ぶ電源に比べ,乾電池電源で同じ目的が達せられたことは,いかに電子部品の進歩(他の分野の進歩を含め)が計測技術に変化をもたらされたかを実感させられました。電子管自体,半導体に全部とって代わったわけではなく,サイラトロン,イグナイトロンなど特殊管としての用途には,まだまだ多用されていることはご存じのとおりです。これらは別として,オーディオ用として最近,昔の真空管が静かなブームになっている様子で,都内には専門店もあり,機会をみて足を運んでみたいと思っています。あれこれ話題には事欠きませんが退屈な昔話をおわります。

 最後になりましたが,仕事のみならず軟式テニスでは皆さんに大変な面倒をかけたこと,アフターファイブを含め楽しいひと時を過ごさせていただいたことに感謝します。研究所の更なる発展を願って止みません。

(ふなびき・かつし)



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