No.249
2001.12

ISASニュース 2001.12 No.249

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ミネソタ紀行

石 井 信 明  

 2000年11月より10ヶ月間,文部省(現文部科学省)の在外研究員として米国ミネソタ州立大学航空機械学科に滞在しました。

 ミネソタに来たと米国に住む知人に話をすると「何でそんな所に」と言わんばかりに怪訝そうな表情をます。冬はアラスカのように寒く,夏は日本のように蒸し暑く,とても快適とは言えない気候です。それゆえにミネソタっ子は男も女も勤勉で,陽が昇る前まだ暗いうちから夜遅くまで昼休みもとらずに「よく働く」と言われています。アイスホッケーには熱狂的ですが,ベースボールにはちょっと冷めています。でも,イチローの人気は揺るぎないものでした。

 米国中央北部に位置し,北はカナダと接し,お菓子が詰まった「クリスマスの長靴」のような形をしています。面積は約22万平方km,人口は約490万人。本州とほぼ同じ面積に,東京の半分の人しか住んでいないわけですから,とてもゆったりです。州都はセントポール市で,隣接するミネアポリス市とともに「双子の市」と呼ばれています。2市の人口は合わせて約67万人で,相模原市よりも少し多い程度です。ミネアポリスはノースウェスト航空がハブ空港として使っていますから乗換えで利用した人もいると思います。

 「1万の湖を持つ美しい州」。それほど大小多数の湖が点在しています。州人口の約半数が釣り人だそうです。湖畔に裏庭がすぐ湖という家が多数建っています。モーターボートやジェットスキー,中には水上飛行機を係留している家もあり,日本では想像も出来ない生活を目の当たりにしました。

 州北西部にアイタスカ湖という湖があります。標高450m。ほとんど人に知られていないこの湖が,あの有名なミシシッピィ川の源流です。川幅は3m程度。メキシコ湾まで4,107kmの長い道のりの中で,向こう岸まで歩いて渡れる箇所はここだけだそうです。

 州北東部には五大湖のつスペリオル湖があります。かつては五大湖を経由して「ミネソタの鉄」が米国東部に大量に湖上輸送されました。鉄工業はミネソタの基幹産業の一つでしたが,鉄鉱石が採れなくなった最近は電子機器,コンピュータ,医療機器などのハイテク産業に力を入れています。

 ミネソタに降った雨の流れはつに分かれます。中部と南部の雨はミシシッピィ川を経てメキシコ湾に,北東部の雨は五大湖を経て大西洋に,北西部の雨はカナダのレッドリバーを経て北極海に達します。平坦な地面の隣り合った湖なのに,そこに降った雨水は1万kmも離れた大海に別れます。とても不思議な場所に違いないと信じて訪れた「分水嶺の3重点」は,旗の一本が立つでもなく,何の変哲もない空き地でした。

 ミネソタは1858年32番目の州として合衆国の仲間入りをしましたが,その10年ほど前から開拓民を勧誘しました。「広大な土地を」という新聞広告を見て,欧州,特に米国進出に遅れた北欧やドイツから多数の移民が入植しました。原住民が極寒の土地での栽培や狩猟の知恵を授けてくれたおかげで厳しい冬を越す事ができ,新しい都市が誕生しました。州旗にはインデアンとともに開墾する白人が描かれています。人種差別のない街をモットーにしているため,南北戦争の前後からアフリカ系米人が多数移住しています。最近でもソマリア,ベトナム,ラオス,メキシコなどから多数の難民が移民してきており,白人以外の人口が急激に増加しています。

 中国南部やラオスの山岳部にモン(Hmong)という民族が住んでいて,山岳地形に詳しいためベトナム戦争時に米軍に加わりました。戦争終結と同時に政府から弾圧を受け多数が難民になったために米国が移民として保護してきました。小柄で手先が器用で日本人のルーツを思わせる顔立をしています。写真はモン族の代表的な刺繍(の一部)で,兵隊に追われ放浪の後,米軍に収容されるまでのストーリーが1枚の大きな布に描かれています。米国の大学で宇宙工学を勉強しながらアジアの歴史を再認識させられました。

(いしい・のぶあき) 


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