No.233
2000.8

ISASニュース 2000.8 No.233

- Home page
- No.233 目次
- 研究紹介
- お知らせ
- ISAS事情
- M-V事情
- 宇宙を探る
- アクトンさん,米天文学会ヘール賞を受賞
- 東奔西走
- 惑星探査のテクノロジー
+ いも焼酎

- BackNumber

ロケット開発今昔物語

村 上 卓 司  

 先日パーティーでヘンミ計算機の方と同席した。1965年からロケット開発に携わった筆者達には,設計の際使用した計算尺のメーカとして懐かしい会社である。今は電装関係の仕事が多く計算尺は作っていないそうである。大部分の設計計算は計算尺で済ましていたが,図面の寸法決定には計算尺では有効数字の桁数が足りない為,機械式デジタル計算機とでも言うべき,タイガー計算機が活躍した。タイガー計算機で平方根を静かに求めるには,熟練が必要であった。警告のベルが鳴ったからである。

 配属されたのはM-4Sロケットの開発グループであった。M-4Sロケットは9種類25個のロケットモータで構成されていて,開発する設計部隊は,5人だけであったので,猛烈な忙しさであった。40日の間にスピン,デスピン,リスピンの3種類のモータとスピンスタンドの設計と製図を行った事もあった。小型モータなので初期燃焼面積を計算してイグナイター薬量を決定し,最大燃焼面積を計算して,スロート面積を決めてその条件下で各部の強度設計をし,全体の燃焼特性は実験で決まるという荒っぽい設計である。

効率の良いサイドフォース発生器

 最初に手掛けた大型モータはM-4Sロケットの第段モータM-20であった。L/Dの小さいモータであるため,燃焼中に発生する前端と後端の凸凹したかぼちゃの半分のような部分の面積を燃焼の進行に従って克明に計算する大変な作業がある。それをタイガー計算機で実施する気の遠くなる作業をしなければならなかった。M-4SロケットにはTVC装置は付かず,グラビティーターン方式であったが,将来に備えて地上試験はTVC付きで行われた。燃焼試験の際,途中から横推力が段々大きくなり,TVC開発担当の同僚は,性能がよいと大喜びであったが,燃焼終了後行って見ると,ノズル壁に馬が出入りするほどの大穴があき,それが横推力を発生させていた事が解った。

衝立は黒板,ストーブでモータの風邪防止

 M-3Cロケットの第段モータの燃焼実験の時だったと思う。推進薬を性能の高い低バインダー組成にしたために,伸びの少ない物性になっていた。モータの温度が低下すると,推進薬の内孔に大きな歪が発生し,クラックに発展する危険があり,保温することになった。

 当時の能代実験場は土手の向こうは,火気厳禁であって,建物も三角小屋以外は寒風が吹き荒れる砂浜であった。保温担当の小生としては,やむを得ず,土手の内側の第二計測室にモータを持ち込み,ガスストーブを燃やしてモータが風邪をひかないよう努めた。ロケットが直接ストーブにあたらないように間に黒板を挟んで,現場の工長と二人で監視した。モータも暖かかったろうが,監視役も楽で暖かい仕事であった。尚,その時の工長は後に会社の安全衛生主任(係長)になっている。

タンポ槍作り

 燃焼実験前日の組立班の大仕事はノズル消火に使うタンポ槍の製作であった。ノズルスロート径に合わせて,長い棒の先にウェスを巻きつけてその上をガラスクロスで被うスタイルが標準的な物である。当日はタンポを水に漬けておき,燃焼実験直後にノズルに突っ込み空気の流入を遮断し消火するために使う。大型ロケットの場合はタンポ槍製作は大仕事で,水を含んだタンポの重さは数十キロにもなり,ノズルの直後に立たないで挿入する為に長い横棒をつけて6人がかりで入れたこともあった。今では炭酸ガスをパージしている。

 キャップタイヤケーブル敷設機の発明,人間標準ロードなど,今から見ると奇妙な物が沢山ある能代の実験であったが,金のない中でやり繰りしながら工夫した楽しい現場でもあった。

(IHIエアロスペースエンジニアリング代表取締役社長 むらかみ・たくじ) 


#
目次
#
Home page

ISASニュース No.233 (無断転載不可)