No.216
1999.3

<送る言葉>   ISASニュース 1999.3 No.216

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東さん(トンちゃん)宇宙研を去る

林 紀幸  

 「良き友は人生最高の宝である」日本の宇宙開発の父糸川英夫先生が,私に書いて下さった色紙である。

 東さんとの出合いは35年前で,体は小さく色黒(本人は色白だと思っている)で,少し恐顔(こわも)てのする人物だった。身に付けている着衣は良質でセンス良く,キザにさえ見えた。今の東さんだけを知る人達は,ポン・ポンと出て来るシャレ等想像も付かない世界に住んでいたのだ。その東さんも定年を迎える。1998年6月目出たく60歳になられた。「定年とは,規則により退職しなければならない一定の年齢」のことを言うそうだが,今でも若い女性達に人気のある東さんが,一定の年齢に達したと思えない。東さん本人も全くそれに気が付いていない。

 人生には様々な出合いと別れがあると言う。この35年間の東さんの毎日は,ISASニュース(No.)に本人が書いているように出張の連続で,年に200日を越えた年も,とのこと。もしかすると家族と過ごした時間より東・林で過ごした時間の方が断然多いのでは? 出張に行くとほとんど昼も夜も,どこに行くのも一諸で(本当はお互いに邪魔だと思っていたのではないか)この短い文章とISASニュースと言う制限の中では表現できないのが残念である。

 宇宙研では我々技官は,教官が医者だとすると,看護婦のような存在だと思う。先生達はそれぞれ専門分野に精通し,ロケットのデザインを決定し,設計して行く,製造は勿論メーカーであるがそれらを希望の日に飛翔出来るよう,組立・検査し成功に導く,時には手術も立ち会い判断をする。異分野をまとめる力こそ技官の本領で生き甲斐である。東さんも多くの場面でその本領を発揮してきた。人生には,結果も大切であるが,そこに行きつく道中が魅力的であるとか? その人東照久氏と出会ったことは私達の財産となって心に残るだろう。それは心地よい懐かしさを持って。

 東さん本当のところ女房と別れるよりつらいよ。この原稿の締め切りの前日2月21日糸川先生が死去された。巨星落つ! そして巨星去る。

(はやし・のりゆき)

東さん(左)と筆者



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