No.216
1999.3

<送る言葉>   ISASニュース 1999.3 No.216

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奥田先生を送る

松本敏雄  

 私が大学院に進学した頃,名古屋大学では早川幸男先生が電磁波の広い波長域での天文観測を始めようとしておられた。宇宙線研究室の助手であった奥田先生と私が赤外線観測を任され,それが日本の赤外線天文学の始まりとなった。当時はろくな検出器もなく,明るい月の観測から始めたものであるが,ちゃちな観測とはいえ今から思えば懐かしい。

 奥田先生はその後オランダ遊学を経て,京都大学に助教授として移られた。京都大学では上松に日本で初の赤外線望遠鏡を建設し,一方で気球実験を精力的に進められ,わが国の赤外線天文学の基礎を作られた。奥田先生は当時から赤外線天文学の本命はスペースであると言っておられ,輿望を担って1981年には宇宙科学研究所に教授として移られた。宇宙研では当初気球による遠赤外[CII]線の観測に大きな成果をあげられ,1995年には我が国初の軌道赤外線望遠鏡IRTSを成功させるとともに,ESAの宇宙赤外線天文台ISOで多大な業績をあげられた。これらの成果をもとに,奥田先生は赤外線天文衛星ASTRO-F(IRIS)計画を軌道にのせられ,日本のスペース赤外線天文学の確固たる基盤を作られた。また,奥田先生は沢山のお弟子さんを送りだされるとともに,天文学会理事長等を勤められるなど,わが国の天文学の発展に大きな貢献をされた。

 私は3年前宇宙研に移り,奥田先生の赤外線天文学研究の始めと終わりを御一緒することになった。思い返せば私は奥田先生の傘の下で仕事ができたように思う。「長い間御苦労様でした」と改めて感謝するとともに,奥田先生にASTRO-Fのデータで楽しんで頂けるよう,これから頑張らねばと思っている。

(まつもと・としお)



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