No.213
1998.12

ISASニュース 1998.12 No.213

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定年前の年の暮れ

栗木恭一 

 年来の不義理があって,10月下旬にピサ市の外れにあるピサ大学併存のチェントロ・スパチオ(宇宙センター)にアンドレヌッチ教授を訪ねた。「明日の講演は旧市街の会場でお願いします」と云われ,翌日秘書さんにその会場へ案内して貰った。小さな広場に面し,周囲の民家と見た目で変わらぬ建物の重々しい木の扉を開け真っ暗な中に踏み込むと,床石が凸凹していて危うく転びそうになった。既に会場には教授,学生合わせて 40〜50人が集まっていたが,急に明るい部屋に招じ入れられて驚いたのはその内装であった。壁も天井もルネッサンス期の絵画で覆われており,重要文化財に取り囲まれての講演となった。最近の電気ロケット推進の2,3の研究成果を話したが,OHP を点灯すると薄明かりに淡い色の天使の姿が浮かび上がり,眩惑的ともいえる気分になった。ガリレオ大先生に始まるピサ大学の先生達はこんな優雅な雰囲気で科学の講義をしてきたのかと感じ入った。因みに,この建物はエンリコ・フェルミ記念館と呼ばれている。

 その気分の醒めぬまゝ帰路に思い浮かんだのは,大阪出身の洋画家,小出楢重( 1886 - 1931 )の晩年(とはいっても若死だったが)の次なる述懐である。以下,「洋画」を「西洋科学」,「絵画」,「芸術」を「科学」と読み換えてみて頂きたい。

 「日本は洋画の発祥の地ではなかったので,つひ勢ひその根が如何なる栄養を吸いつつ何の要求から現代となったかを眺める事が出来難い不便な位置にあるために,つひにその花だけを眺め,何の仕度もなく花だけを模造しようとする傾向があり,叉,若き壮なる年配にあっては特にそれを先ず企てようとする。だがもともと,切り花の生命はどうせ幾日間の間である。

 日本の洋画壇の今までの傾向は大体が輸入時代だから止むを得ない道程であったが,その切り花は無数の花の中のたった一つの種類に過ぎない場合でさえも,その一種の花が当分のうちに全日本の浦々にまで流感のごとく速やかに発生するのである。だが根が無いために,次の切り花の到来を待ちあぐむ。勿論花の見本だけでも心を刺激し開発する役には立つ。然し勿ら,根を本土におろすべき芸術はその根も共に知る事なき限り本当の発生と進歩は困難である。」(1930)

 芸術は洋画以外にもまだあるからよいが,科学は西洋由来のもののみである。この文を思い出したのは,ピサ大学のルネサンス様式講義室で科学の根を育てた土の香を嗅いだ気がしたからである。何が切り花で何が根かとか,万事グローバルになった世の中だから根がどこにあろうとよかろうとか聞こえて来そうである。だが,小出画伯が物故して半世紀余がたち,この間に研究生活の大半を過ごした私には,根ともいうべき先生の講義を,その香のする部屋で聴いた覚えはない。バブル経済も根のない資本主義体制の切り花であったのかと,寂しさの残る定年前の年の暮れである。

(くりき・きょういち)



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