No.204
1998.3

<研究紹介>   ISASニュース 1998.3 No.204

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単細胞生物の重力感覚

   お茶の水女子大学理学部  馬場昭次




 生物は,地球の重力場の中で,いわば逃れることのできない「重力の作用」を受けながら,これに適応し進化してきた。どのように適応してきたかを正確に知ることは,生物を理解する上で重要である。シャトルや宇宙ステーションのもたらす微小重力環境下で,生物がどのように生きどのように適応するかを明らかにすることは,宇宙生物学の目標の一つである。宇宙微小重力環境を利用して,理論的裏付けの基にうまく計画された実験を行うことで,生物の重力への応答と適応をより深く理解することができるだろう。ここでは,生物の重力への応答と適応の研究の中から,単細胞生物であるゾウリムシの重力感覚に関する研究を紹介する。



◆泳いでいると沈まない



 ゾウリムシは,体表全面に生えている繊毛を揺り動かし,らせん軌跡を描きながら淡水中を泳ぎ回って生活している(図1,図2)。その細胞体の平均比重は淡水より大きいので,実験的に繊毛を取り除いたり繊毛運動を停止させると,普通の遊泳速度の数分の1程度の速さで沈んでいく。ところが,ゾウリムシは泳いでいると,重力の作用をキャンセルすることができ,沈まずにいられる。図3に示す写真記録は,このことを印象的に示している。この写真は,ゾウリムシの垂直面内での遊泳と繊毛運動停止による沈下を示している。遊泳の記録時間は,全体で沈下の記録時間のほぼ倍であることを考えると,円を描く遊泳軌跡の中心は多少のドリフト,特にこの場合は右へのドリフトを伴うものの,全然沈下はしていないといえる。このように重力と浮力の差に基ずく沈下効果を遊泳中のゾウリムシがキャンセルしているのは,遊泳速度を垂直面内での遊泳方向によらず一定に保っていることによる(図4)。すなわち,重力に逆らって上に向かって泳ぐときには繊毛運動による推進速度を増加させ,下に向かって泳ぐときには推進速度を減少させていることによる。

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図3 垂直面内で円を描きながら遊泳するゾウリムシと
   繊毛運動を停止して沈下するゾウリムシ。   
   フラッシュ間隔 0.5s (左), 4.0s (右)。    
   駒間隔: 7s (左)。スケール: 1mm 。    


図4 ゾウリムシの遊泳速度の遊泳方向依存性。          
   図3のゾウリムシの遊泳速度を(下方)から180度(上方)までに
   分けて測定したもの。波線は,方向によらず推進速度一定で沈下
   速度が加算されるとしたもの。               

 ゾウリムシは,前に述べたようにらせん軌跡を描いて泳いでいる。従って,図3の円軌跡はらせん軌跡をらせんの軸方向から見たものに相当する。というより,らせん遊泳の後に垂直に立てられた容器の側壁に到達してそのままその位置で円を描いて泳いでいるものと思われる。従って,壁の近傍での流体力学的抵抗の増加によって,沈下効果がキャンセルされているのであって,ゾウリムシが重力の作用をキャンセルするように推進速度を調節しているわけではないという反論があり得る。しかし,この状況下での遊泳速度は,らせんを描いて泳ぐゾウリムシの平均遊泳速度に比べ,せいぜい20%程度しか遅くなっていないことから考えると,流体力学的壁効果が沈下速度にだけこれ程までに選択的に効くとは信じがたい。

 とはいっても,壁効果に基づく反論はあり得るので,壁から隔たったところをらせん軌跡を描きながら泳いでいるゾウリムシについて,遊泳方向と速度の関係を調べてみた(図5)。また,山下雅道教授と黒谷明美助教授の協力を得て,宇宙科学研究所宇宙基地利用実験センターの低速遠心機を利用して,1-5gの過重力下でのゾウリムシの遊泳速度の重力方向に対する依存性を調べた。その結果,ゾウリムシは重力の方向と大きさに依存して,その推進速度を増減させることが明らかとなった。その程度は,垂直方向上向きと下向きで,それぞれおおよそ1g当たり0.05mm/s の増減であった。


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図5 ゾウリムシの遊泳速度の遊泳方向と重力の大きさに対する依存性。 
   軌跡が全体的に直線的なもの(左)と曲線的なもの(右)についての図4
   と同様の解析。1g()と3g()。                

◆ゾウリムシの機械刺激受容と重力感覚

 ゾウリムシの膜電位をガラス微小電極で測定しながら,後端部を微小なガラスの棒でたたくと刺激の強さに応じた大きさの過分極が記録できる(図6)。前端部の場合には,ある程度の強さまでは刺激の強さに応じた大きさの脱分極が起こり,閾値以上の刺激では活動電位が発生する。このとき観察される機械受容は,過分極応答については,後端に向かって分布が次第に増加する機械受容性カリウムチャンネルの働きにより,脱分極応答については,前端に向かって次第に増加する機械受容性カルシウムチャンネルの働きによるとされている。一方,ゾウリムシに電流電極をさして通電することで膜電位を変化させると,繊毛運動の頻度が過分極で増加し,脱分極で減少する。


図6ゾウリムシの機械受容。( Naitoh, Y. and Eckert, R., 1969 )

 遊泳速度の測定から示唆されるゾウリムシの重力感覚は,これらの機械受容性チャンネルの働きによって説明できる。すなわち,ゾウリムシが上を向いているときには,そのとき下にある後端部が重力によってより強く刺激され,機械受容性カリウムチャンネルの開状態確率が増加し,細胞膜が過分極し繊毛運動の頻度が増加して,推進速度が増加する。ゾウリムシが下を向いているときには,そのとき下にある前端部がより強く刺激され,機械受容性カルシウムチャンネルの開状態確率の増加,細胞膜の脱分極,繊毛運動頻度の低下が次々に起こって,推進速度が減少する。



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◆重力刺激による膜電位変化の推定

 繊毛運動頻度の膜電位依存性と重力刺激による遊泳速度の相対的変化とから,重力刺激による膜電位の変化を推定できそうである。しかし,繊毛運動の頻度のみならずその有効打の方向も膜電位に依存しているので,しかも有効打方向の膜電位依存性には部域差があるので,ことはそう単純ではない。そこで遊泳速度の膜電位依存性を直接測定することにした。

 ゾウリムシの膜電位は膜が透過性を示すイオンの細胞内外における濃度によって, Goldman の式に従って変化する。膜電位に影響を与える陽イオンのうちカリウムイオンとカルシウムイオンのみを含む溶液にゾウリムシを入れて,カリウムイオン濃度を変化させたときの膜電位の変化は詳しく研究されている。そこで,同様の溶液の中でのゾウリムシの遊泳速度とらせん遊泳軌跡のパラメーターを測定し,それらの膜電位依存性を調べた(図7)。その結果,遊泳速度の膜電位依存性は,1mV の膜電位変化に対しておおよそ 0.07mm/s の速度変化であった。すなわち,これは前述の結果と合わせると,1g の重力刺激で 0.7mV の膜電位変化が起こることを意味している。これを膜の電気的等価回路の式を用いて,カリウムイオンのコンダクタンスの変化あるいは機械受容カリウムチャンネルの開状態確率の変化として推定すると,2-3%の変化ということになる。

 この程度のコンダクタンスの変化を大きいと見るか小さいと見るかは,人それぞれであろうが,ゾウリムシは重力の刺激をこの程度のイオンチャンネルの状態変化として受容するだけで,地球の重力場に十分適応して行動できるということを意味しているととることもできる。



◆負の走地性と重力受容

 ゾウリムシは,重力場内ではある条件下で次第に上向きに遊泳方向を変化させて,水面近くに集まる性質を持っている。上を向く要因の半分程度は,物理的要因,特に前端部が後端部に比べほっそりしているために前端部と後端部での流体力学的な抵抗に差があることによる。しかし,正確に測定してみると,ゾウリムシの負の走地性配向には,繊毛運動を止めて,沈下させたときのゾウリムシの上向きへの配向として計測できる物理的要因だけでは説明できないものがある。
説明がやや複雑となるので,ここでは詳細を省略するが,負の走地性配向の残りの半分は,重力受容による膜電位変化に起因する繊毛運動の変化でおこるらせん軌跡のピッチ角の変化(図7)で十分に説明できる。
図7 ゾウリムシの遊泳の膜電位依存性。   
らせんに沿った遊泳速度とらせん軌跡が 
軸となす角(ピッチ角)を示す。     


◆おわりに

 重力受容による膜電位の変動を何とか直接測定し,ゾウリムシの重力感覚を実証したいと願っている。現時点では,重力受容を検出する最も感度の良い方法は,遊泳速度の測定であるという状況に置かれている。ここでもその理由の詳細は省略するが,私はゾウリムシの運動モード音波刺激に対する応答を研究することで,ゾウリムシの重力受容解明への手がかりが得られるのではないかと思っている。

(ばば・しょうじ)


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